米(6)

2023-11-03 17:38:00

姚任祥=文

臘八粥を作っている住民(浙江省湖州市で、vcg)

今月号は「米」シリーズの最終回。今回は粥と菓子という二つの最も身近な米食品について紹介していく。 

 

粥は「糜」や「稀飯」とも呼ばれ、朝食としても夜食としても食べることができ、病気で食欲がないときにも粥を飲むことがよくある。北宋の詩人蘇軾は、「夜が深くなると、呉子野は白粥を食べるよう勧めた。それは新陳代謝をよくし、胃にも優しい。粥は素早くおいしくでき、粥を食べれば快眠につくことができる」と残している。 

白粥の「新陳代謝」の素晴らしい効果を中国人は身をもって理解している。粥は大雑把にいうと、大量の水に米または小麦粉を加えて煮込み、その汁を濃くしたもの。さらに細分化すると、米を加えて作ったものは「稀飯」と呼ばれ、小麦粉を加えて作ったものは「糊」と呼ばれる。 

粥を煮る鍋は、大きくて深いほど良い。数時間じっくり煮込むと、柔らかくて滑らかな稀飯の出来上がり。至福の味だ。特に上層に出た米汁は、他のものを煮るのにも使える。例えばオートミールを煮ると、より滑らかな口当たりになるし、肉を煮ることもできる。既に完成した白粥に他の食材や漢方薬を加えて食べるのは、食事療法でよく推奨されていることだ。 

稀飯は熱いうちに食べるのが一番いい。私は生ぬるい稀飯を飲むのが大の苦手で、何か物寂しい気持ちになってしまう。温かい粥に柔らかい米粒が交じり合い、それが胃袋に入ると、スープよりも充実した満腹感が得られる。清朝の詩人袁枚は、「水だけ見えて米が見えなければ粥ではない。米だけ見えて水が見えなくても粥ではない。水と米を溶け合わせて柔らかく滑らかにし、はじめて粥と呼ぶ」とつづっている。袁枚は杭州の出身であり、有名な美食家でもある。『随園食単』という書物が今日まで伝わっており、そこに書かれている方法で粥を作れば、きっと上品で美味な白粥が出来上がることだろう。 

台湾台南地区の有名な「鹹粥」(塩粥)は地元のローカルな朝食だ。シマアジの骨と豚の大腿骨でスープをとり、生米を加えて一緒に煮込んでいく。お碗に移してから、焼いて手でちぎったサワラを加え、ニンニク、フライドオニオン、刻んだセロリとニラをまぶしてから最後にシマアジをのせる。台南の人は親切で気前がいい。取材のとき、写真を撮ることやメモに追われて、注文した鹹粥を食べる時間がなく、食べるときにはもう冷めていたのを見たおかみさんは、熱々の新しいものを出してくれ、ビッグサイズのシマアジをのせてくれた。その上お勘定を受け取らなかったのだ。このことがあまりにも印象的で暖かく、あのお店をまた訪れ、お腹いっぱいの鹹粥と人情味をもう一度味わいたいとよく思う。 

台湾の農村部には、あまり知られていない「龍葵菜」という独特な苦味をもった野菜がある。これを水でゆでた後、シイタケや豚肉の細切りを加えて作ったお粥はまた格別だ。煮込むときにピーナッツや押し豆腐を加える人もいる。その少し苦くて懐かしい味は、まさに台湾のおばあちゃんの味そのものだ。 

広東の人は白粥のことを「明火白粥」と呼んでいる。その4文字は米と水が暖かい火の中で優しく寄り添うかのような雰囲気を醸し出している。広東人は動詞を駆使してロマンチックな名前をつけるのにたけている。例えば、白粥に豚骨、魚のだし、ホタテ、かつおぶしを加え、米粒を柔らかくとろみが出るまで煮込み、割いた魚の骨、お腹、口、尾っぽ、カマ、胃袋を加え、さらに魚のつみれを入れたものを「姜葱生滾雲魚粥」と言う。香港の飲食店のメニューに書かれている料理名の多くは対聯(対句)のようになっていて、名詞や動詞だけでなく、形容詞も使われる。このような料理名を見ると、いつも対になる句を作りたくなってしまう。例えば「姜葱生滾雲魚粥」に対して、「去寒氤胃翻騰」というように。 

あるときポルトガルの友人が20分ほどかけて、故郷の美味について語ってくれたことがあった。私はリスボンに行った際、港のレストランで彼が言っていたおいしい料理を注文した。出てきたのは中国の海鮮粥のような料理。少し違うのは海鮮粥よりも時間をかけて煮込んだくらい。使われている米はインディカ米で、海産物を存分に使っていることもあってお粥本来の味はほぼ埋もれてしまっていた。もちろん、とてもおいしかったのだが、ネーミングという点においては、友人の20分間の熱い語り掛けもやはり「姜生滾雲魚粥」という7文字にはかなわなかったと思う。 

私はアワのお粥も大好きだ。北方地方の人は、アワに砕いたトウモロコシを入れて、とろみが出るまで煮込む。食べるときは一さじの白砂糖を入れる。甘い味わいが心とお腹を満足させてくれる。 

「臘八粥」も同じように甘い粥だ。これは旧暦の12月8日に食べるもので、お米のほかに、ピーナッツ、緑豆、小豆、ハスの実、干しリュウガン、ナツメ、ハトムギなどを一緒に煮込むため、おやつ感覚で食べられる。「臘八」は仏様が悟りを開いた日で、もともとは「仏粥」と呼ばれていた。 

お粥より口当たりが滑らかなのが米漿で、いま人気の健康食品でもあり、特に体の弱いお年寄りや乳児に適している。町中ではさまざまな米漿が売られており、使われているお米の種類も異なっているため、色もさまざまだ。牛乳アレルギーの人にとって、米漿は良い代用食でもある。 

菓子 

以前、外国の食品が大量に輸入されてくる前、米は私たちにとって最も親しみのある穀物だった。それは私たちの日常的な主食であり、多くのお菓子の原材料でもあった。米を使ったお菓子の中で一番香ばしく、一番私の記憶に残っているのはポップコーンだ。台湾語では「米香」と呼ばれている。残念ながら、今の子どもたちが映画を観るときに食べるもののほとんどが輸入されたトウモロコシで作られたポップコーンになっている。 

2030年前、台湾の街の道端には、時々ポップコーンのトレーラーが停まっていたものだった。一番興味をそそられるのが大きな爆弾のような形をしたポップコーンを作る缶だった。米を入れて数分間加熱した後、ポップコーン売りの人は、周りを取り囲んで出来上がるのを待っている人々に「爆発するよ」と3回声を掛ける。ポップコーンが出来上がるときの爆発音は大きいため、人々に近づかないように注意し、耳をふさぐよう促すのだ。そして出来上がると、金属製の網を持って缶の前まで行き、ポロポロ落ちてくる米粒のポップコーンを入れていく。それからそれを金属製の桶に移し、いったピーナッツやレーズンを加えてシロップをかけて素早く混ぜ合わせ、大きな木の型に流し込んで固定させる。そのとき麺棒で表面を平らにし、しっかり固まったら最後に竹製のナイフで小さな角切りにする。その場で買って手に持っているとまだ温かくて、甘さと香ばしさを口いっぱいにほおばることができる。たくさん買って帰ればしばらく保存することもできるので、当時は一般家庭で一番よく見られるお菓子だった。 

台湾は米製のお菓子が多い。例えば米糕や米が有名だ。これらは寺院でお祈りするときによく使われる供え物でもある。特に長い楕円形をした米は、旧暦の1224日にかまどの神を天庭に送り返す際に並べるお供え物となる。伝統的な三牲(牛豚)以外にも、米のような蜂蜜をたっぷりまぶした甘いデザートが必要なのだ。かまどの神が甘い米を食べると口が甘くなり、天庭で下界のいいところをたくさん褒めてくれるようにとの願いが込められている。 

毎年、年末前の半月間、台湾の菓子店や伝統的な市場では、ぽっちゃりした見た目の米が出回る。現代人は甘いものの摂取を控える傾向があるため、メーカーは他の穀物を配合して、塩味に調整したものも販売しており、人気を呼んでいる。 

伝統的な米のポップコーンを作る様子(貴州省貴陽市で、vcg)

関連文章