中華式朝食(下)

2023-12-19 16:11:00

香港風飲茶(ヤムチャ) 

ふだんの家庭の朝食と言えば、出勤や登校の時間に遅れないよう、簡単で素早く栄養のあるものが基本となる。 

私が小中学校に通っていた頃は、土曜日も一日中塾で勉強していたので、日曜日しか思う存分朝寝ができなかった。それに日曜の午後5時を過ぎると、宿題がまだ片付かない上に、また月曜から毎日テストに追われ、丸暗記の苦しい日々が始まるのかと思い、すっかり暗い気持ちになっていた。 

だから、一週間の中で一番リラックスできて楽しいのは日曜の午前だけだった。その日は朝食と昼食を一緒に食べることが多く、父に「紅宝石」というレストランに飲茶に連れて行ってもらうのが至福の時だった。いつもは昼過ぎまで寝ている母も、わざわざ早起きして一緒に飲茶に出掛けたものだった。 

その頃の台北にはまだ茶楼は少なく、私たちがよく行った「紅宝石」は、仁愛路と四維路の交差点にある遠東百貨店の中にあった。父はいつも窓際のテーブルを予約した。母は持ってきた新聞を広げ、私たち子どももお気に入りの絵本を手に飲茶を食べながら楽しく読んでいた。なんとものんびりと気楽なひとときだった。 

飲茶とは、お茶を飲みながら点心(軽食)を堪能することで、茶も点心も同じように重要だ。店では店員さんがまずお茶は何にするか聞いてくる。母はいつもジャスミン茶か緑茶を好んで注文していた。 

店員さんが茶葉の入ったポットを持ってきて湯を注ぐと、母はすぐに私たちが使う茶碗や湯飲みに湯を注ぎ、箸の先を浸して湯をかけ流して洗った。そして店員さんが再び湯をポットに満たせば、これで「開茶」(茶の準備)という儀式が完了する。 

続いて店員さんは、一人一皿ずつ点心用のタレを運んでくる。赤いチリソースと黄色いからしだ。テーブルにも、しょうゆとラー油の備え付けの調味料の小瓶がある。 

父は私たちに、香港の人は茶楼で飲茶をするとき、3本の指の先でテーブルをコツコツと軽くたたき、店員に謝意を示す習慣があると教えてくれた。言い伝えによると、昔ある皇帝が平民に変装して南東地方へ巡幸に出掛けた。皇帝とお供の大臣たちが茶楼で食事をするとき、皇帝は身分を隠すために自ら大臣たちにお茶を注ぐが、臣下の者はとてもこれを受け入れられない。そこで皇帝は、指でテーブルを軽くたたく動作を臣下が皇帝にひざまずき礼を表す合図とする――と前もって決めた。それがこの仕草の始まりという。父は、この伝説が本当かどうか分からないが、とにかく香港人の飲茶の習慣はそういうものだと話していた。 

中国人は昔から点心が大好きだ。また、「北方の点心は精巧で南方の点心は多彩」と言われている。おいしさや精巧さを求めるあまり、点心はどうしても脂っこくなりがちだが、お茶を飲むことでさっぱりすることができる。点心と茶の組み合わせは、まさに相性抜群といえる。 

私たちが点心を食べお茶を飲んでいる横で、えりの立ったチャイナ風の上着とズボン姿のおばさん店員が、点心を載せたワゴンを押しながら行ったり来たりしていた。ワゴンの上には、色々な小皿料理や軽食類(点心)があった。 

「点返個心頭好」という広東語がある。「お好きなものをお選びください」という意味で、私たち子どもはエッグタルトやチャーシューまん、春巻、中華風蒸しカステラが載ったワゴンが一番の楽しみだった。私は大根餅のワゴンも大好きだった。移動しながらワゴンの上で焼くと、おいしそうな香りが立ち上り、気持ちがほっこりした。 

ワゴンには小さな「せいろ」もたくさん載っている。甘いものとしょっぱいものは別々に置かれ、どれも熱々でおいしそうだ。メニューも用意されていて、かゆ類や、麺野菜の炒め物なども注文できる。 

父と母はそれぞれ新聞を読みながらも、私たちが何を食べているか気に掛けていた。私たち子どもは、とてもリラックスし満足していた。しばらくすると、テーブルの上にはいろいろな模様のついた空の皿がたくさん積み上げられる。模様が違えば値段も違う。店員さんは勘定書に記入するまでもなく、さっと暗算し、私たちは言われた通りの額をカウンターで支払ったものだ。 

私が大人になって香港の茶楼で飲茶をするようになった頃、お店は注文カードを使うようになっていた。そこには「小点」「中点」「大点」「頂点」と書かれていて、それぞれ食べ物の大きさと値段を表していた。また、最低消費額として「一両件」と書かれていた。これは茶のポット一つと点心二つという意味だ。香港で最も代表的な「両件」は、チャーシューまんとエビ蒸しギョーザだ。 

香港は飲茶の文化が盛んで、茶楼はいつも客でいっぱいだった。時々空いた席がなくて、他のお客さんと相席になることもあったが、これには非常に違和感を覚えた。 

私たちの「紅宝石」時代は、窓際のテーブルは気ままな小世界で、楽しく笑い騒いだり、ゆったりと味わったりした。もし見知らぬ人と相席になれば、いったいそんなのんびりした気分になれるだろうか。しかも席が空くのを待つ人にそばに立たれると、落ち着かず、そのたびに急いで食べて帰るしかなかった。 

香港にある「陸羽茶室」は、席を争う必要もなければ、見知らぬ人と相席する必要もない。そこは高級な茶楼であり、白い布の帽子をかぶった「堂」(給仕)が入口で客を出迎え、車のドアを開けてくれる。陸羽茶室の1階は広々としていて、一般の客がお茶を楽しめるスペースとなっていて、2階以上は常連客のために仕切られた個室だ。 

私は以前、香港の先輩と2階に行ったことがある。部屋の内部は1930年代のレトロなデザインで、出入口にはたん壺が置かれ、壁には張大千や溥心畬(ふ しん よ)など書画の大家の絵画が飾られていた。後日聞いたところでは、これらの絵画はある夜に盗まれ、大きな被害を受けたそうだ。 

陸羽茶室のメニューは週ごとに入れ変わり、料理の名称は全て五文字で表されている。塩味のものや甘いもの、ご飯や麺類などの他に、酥(サクサクとしたパイ)や餃(ギョーザ)、巻(マントウやロール菓子など)、粽(ちまき)、(カステラ、蒸しパン)、角(包み揚げ)、焼売(シューマイ)などがある。朝食から「紅燒大鮑翅」(アワビとフカヒレのしょうゆ煮)も提供している。メニューもユニークで、手触りの荒い紙に真っ赤な字で印刷されている。現代的な市販のプリンターではなく、自家製の印刷機で作っているそうだ。 

店名となった陸羽は唐代の人で、茶道に精通しており、世界で最初の茶に関する専門書『茶経』を著した。72歳で他界し、後世に「茶聖」とたたえられた。伝えによると、陸羽は現在の湖北の出身で捨て子だったのを僧侶の智積禅師に拾われ育てられた。禅師が占い書『周易』で占ったところ、「鴻漸于陸,其羽可用為儀」(大雁は力強い翼で空高く羽ばたく)という故事を得たので、陸羽と名付け、小さい頃からお茶をたてることを教えた。後に、河南の李斉物という人物が陸羽を学校に通わせてくれたが、陸羽は勉強の合間に先生の友人たちにお茶をたてて楽しんでいたという。 

その後、陸羽は茶の研究に打ち込み、各地を訪ねて資料を集めて標本を作製、789年に出版した。同著は、茶の栽培や焙煎技術を資料として後世に残した他、お茶を飲み味わうことのメリットや楽しみも提唱した。 

『茶経』は源(起源)具(製茶器具)造(製茶法)器(茶器)煮(茶のたて方)飲(飲み方)事(資料)出(産地)略(省式の茶)図(本文を掛け軸とすること)の3巻10部からなる。陸羽が創始した茶葉研究は、茶葉の実践的な観察と理論構造を確立し、後世の人々から尊敬されている。香港の陸羽茶室はその名を取ったもので、点心の洗練された味と茶葉のこだわりは言うまでもない。 

海外のいくつかの大きな中華街では、ここ20年余りに多くの茶楼ができた。だが紅宝石のようなワゴン式の点心はとっくに廃れ、一枚一枚のチェックリストに取って代わられてしまった。私の飲茶に対するあの気楽でリラックスした気分も、どうも減ってしまった気がしてならない。 

しかもチェックリストには料理名がびっしりと書かれ、伝統的な香港式の茶楼よりもずっと複雑で、50種類以上もある。たまに外国人の友人を連れて飲茶をしに行くが、友人らはどれもこれもおいしいと驚嘆する。しかし私は、心の中で誇らしく思いながらも、笑いながらこう言う。「これは私たちの朝食にすぎませんよ」 

『伝家』とは 

台湾の女性作家姚任祥さんが7年の歳月をかけて書き上げた力作。春冬の全4冊からなり、それぞれ六つのコーナーに分かれ、優雅な文体と美しい写真により、中国人の生活様式と伝統文化を季節ごとに描き出している。著者は、自身の家に代々伝わる「家伝」を通して、この本を読んだ人一人一人が自分の家に「家伝」を持つことを願っている。同書は、中国人なら誰もが持っておきたい伝統文化の百科全書であり、外国人が、古今を通じた中国人のライフスタイルとそこに宿る知恵を知る良き入門書である。 

人民中国インターネット版

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