おやつ
1981年の台湾は張艾嘉(シルヴィア・チャン)が歌う『童年(幼年時代)』が大ヒット、街中至る所でその歌声が響いていた。作詞・作曲は歌手の羅大佑で、歌詞はこんな内容だ。
池のほとりのガジュマルの木で 蝉が夏を告げている
校庭のブランコには 蝶が一匹止まっているだけ
先生が握るチョークは 黒板をカタカタとせわしなく走る
授業の終わりを待ち 放課後を待ち 遊びを待ちわびた幼年時代
売店には色々売っていても ポケットには一銭もなかった
諸葛四郎と悪魔党 宝の剣を手にするのはどちらだろう
隣のクラスのあの子は いつになったらうちの窓辺を横切るのだろう
口の中にはおやつ 手には漫画 そして心の中には初恋の幼年時代
……
休みを待ちわび 明日を待ちわび 大人になる日を待ちわびた幼年時代
日々が過ぎ 年が巡り 大人になる日を待ちわびた幼年時代
この民謡は、まさに台湾の小学校4、5年生の心情を代弁していた。当時は物資がまだ豊かでなかったとはいえ、大人になる日を待ち望んでいた私たちは、幸運にも素朴で幸せな童年を過ごしていた。それは大人になった今でも、光景がありありと目の前によみがえるほど鮮やかな記憶として残っている。

私が覚えているのは、ナイロン製の「毽子」(足で蹴って遊ぶ羽根付きのボール)が子どもたちのつま先からつま先へと渡るさまや、路地裏の空き地に必ずあった、チョークで描いた石けりのマス目だ。男の子はいつもポケットに木の枝で作ったパチンコを忍ばせ、そこらに転がっている小石や木の実を弾にして遊んでいた。女の子は赤いひもで作ったあやとりに夢中だ。駄菓子屋に行ってはポケットの小銭で真っ赤に染まった干しマンゴーを買い、くじを引いては橄欖その他の景品を手に入れる。自分たちで描いた宝の地図を広げてはみんなで宝探しに興じ、ヤクルトの空き瓶で糸電話を作ってはお母さんに言えない秘密をこっそり伝え合った。折り紙で作った「四方占い」は、何日遊んでも飽きない。古い布切れで作ったお手玉が空を舞い、お兄さんたちが夢中になっているドロケイにどうしても入りたい私は、無理やり「看護婦」役をねじ込んだ。小さな竹とんぼでは誰が一番高く飛ばせるかを真剣に競い、尖ったコマの軸が床板を傷つけたときには、「何なの!これは!」という母の怒号が家中に響き渡った。
駄菓子屋のくじ引きは誘惑のかたまりだったから、魔が差して家の引き出しから小銭をくすねたこともある。それが母に見つかって屋根裏部屋に閉じ込められた私は大泣きし、壮絶な「家出劇」を演じたものだった。親友の佳君は塾の帰り道に1元のお小遣いで買ったおやつを私に分けてくれた。佩珍と一緒に初めてのダブルデートをしたときには、バスケットボールで遊んだあとにゴールの下でポン菓子やヨーヨーゼリーを分け合った。小さな手のひらに乗ったおやつには、私たちだけの大切な思い出が詰め込まれていた。
中学のころ、同級生の陳婉蓉が醤油味のスイカの種を学校に持ってきて、クラスのみんなにひと握りずつ分けてくれたことがあった。食べ始めると止まらなくなる困った代物で、授業中も手が止まらない。それが数学の時間にバレて先生が生徒指導室に報告したため、クラス全員が廊下に立たされた。処分を受けるかもしれないという噂が広まり、「お父さんに申し訳ない」と思いつめる優等生の張嫱をクラス全員で必死になだめる騒ぎにまで発展した。
佳君、佩珍、そして私の3人は先生に「やんちゃ三人組」と目をつけられていて、バドミントンのラケットをギターに見立てて芸人のまねをし、先生を失笑させたりしていた。
ある日の数学の授業中のことだ。ぼーっといじっていたボールペンを床に落としてしまった私は、拾おうと頭を下げたときに目に入った先生の靴が片方黒、片方茶色なのに気付いた。「大発見!」と佳君と佩珍に目配せしたが伝わらない。そこでわざともう一度ペンを床に落として二人の目線を先生の靴に向かわせた。気付いた彼女たちとアイコンタクトを取り、クラス全員に知らせるべく3人一緒にペンを落としては下をのぞき込む動作を繰り返した。その行動をいぶかった先生に「任祥さん、何をしてるの!」と怒られた私は、「先生、私なんだか目の調子がおかしくて、黒と茶色が同じ色に見えるんですよ」とすっとぼけたところ、自分の足元を見た先生は「やだ!」と叫んで教室を飛び出し、家まで靴を履き替えに戻っていった。

先生がいなくなれば、私たちやんちゃ三人組の独断場だ。先生が慌てふためく様子をまねしてクラスを爆笑のうずに巻き込み、ついにはクラス中でかばんに隠し持っていたおやつを分け合い、さながら演芸ショーのようなにぎわいとなった。
子ども時代は人生で一度だけ。あの頃の手作りおもちゃには子どもらしい工夫が詰まっていて、子どもにとってそれは誇らしい「作品」だった。単純だけれど巧みな遊びのルールは、仲間意識を生むきっかけともなった。あの頃の遊びの多くはすでになくなってしまったが、たまに見掛ける「懐かしのおやつ」を口にすると、当時のあの味や楽しかった日々が眼前によみがえってくる。
もう一つ、子ども時代のおやつの記憶といえばやはり春節(旧正月)だろう。新しい服が着られる、お年玉がもらえる、爆竹ができるなど、子どもにとっての楽しみは多々あるが、一番の楽しみは何と言ってもティーテーブルに並ぶお菓子を好きなだけ食べられることだった。
年末になると母は私を伴い老舗の菓子屋に行く。私は特権を得たような気分で、南棗核桃糕(くるみのナツメ餡寄せ)、芝麻餅(ゴマのクッキー)、陳皮梅(スモモと陳皮の砂糖漬け)、金門貢糖(金門島名産のピーナッツタフィ)、牛肉乾(ビーフジャーキー)や豬肉乾(ポークジャーキー)、ピーナッツ、ひまわりやカボチャなどの種、そして色とりどりの包み紙にくるまれた瑞士糖(スイスのブランド・スグスのキャンディ)を選んだものだ。母は年末年始にだけ使う仕切りが入ったきれいな菓子鉢を出してきてお菓子をぎっしり詰め、ティーテーブルに載せた。そして春節期間だけは、私たち子どもも心置きなく菓子鉢に入ったお菓子を食べられるのだ。
伝統的な正月菓子には、冬瓜糖や紅白に染められたピーナッツタフィもあった。冬瓜糖は作るのに手間がかかるので、この時期にしか味わえないものだった。冬瓜糖に代わって最近は色々なフレーバーのヌガーがおいしくて種類も豊富だと人気を呼んでいる。台湾式のヌガーはメレンゲに熱した水飴を加えてしっかりと泡立ててバターやチョコレートで風味をつけ、粉乳を加えてよく混ぜる。これをベースに低温でゆっくりローストしたナッツを加えて型に詰めて平らにならし、冷めたらカットして完成となる。
ティーテーブルを華やかに彩る正月菓子は、新年のあいさつにやってくる親戚や友人との話のネタにもなるので、テーブルセッティングは春節らしい小物を添えたりして、特ににぎにぎしく楽しげな演出がなされた。
あの頃は確かに今とは比べものにならないほど質素だったけれど、穏やかで素朴な時代だった。そこに満ちあふれていた幸せは、私の人生の中で最も懐かしむに足るものだ。
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