会いたくて千里も走る

2020-02-27 16:49:09

邢菲=文写真提供

中国人にとって、春節(旧正月、今年は1月25日)は一年で最も重要な祝日だ。他郷にいる人々は必ず家に帰り、一家だんらんを楽しむ。今回はバイクで氷点下の中国を疾走し、2泊3日をかけ是が非でも帰郷したいと願う2人の若者の珍道中に同行しながら、田舎に帰らない若者と変わりゆく都会の春節を見つめる。

 

パトカーに誘導されるバイクの大軍

 

「4台で出発したけど、バラバラになっちゃった」

 「こんな寒さは、人生初めてだよ」

 「バイクで帰った方が列車やバスより安く済むんだ」

 こう話してくれたのは高速道路の休憩所で一休みしているライダーたちだった。皆寒さ対策に着られるだけ着込む。バイクに詰めるだけの土産物を積む。

 3000万人を超える出稼ぎ労働者が働く中国広東省。毎年の12月頃、国道を走り帰省するバイクは10万台を超える。気温5度以下の寒風の中、数十時間も耐え忍んでふるさとを目指す原動力は、一家だんらんで春節を過ごしたいという願いだ。以前は鉄道を利用して帰省することが一般的だったが、高速道路の整備に伴いバイクで帰郷する人が増えている。

 日本に来る前、私は毎年家族と一緒に春節を過ごしていた。食べきれないごちそう、赤い封筒に入ったお年玉や耳が痛くなるほどの爆竹の音は春節の記憶だ。日本に来て実家に帰れない春節に一番恋しく思ったのは年を取っていく両親だった。バイクで帰郷する人たちを取材し、経済発展がもたらした変化や中国人の春節を大事にする心を描きたかった。

主人公はインターネットで見つかった。高速料金やガソリン代を割り勘するため、多くの出稼ぎ労働者がネットで出発の時間を発表し、バイクに同乗し同じ方向に帰る仲間を募集する。撮影の約束をしてくれたのは、小売店を営む黄成英さん(29)と縫製工場で働く潘光軍さん(26)。2人のふるさとは広東省からおよそ1000離れた広西チワン(壮)族自治区の村だ。2人の月給は3万円ほど(2012年撮影当時)で、バスで帰るならその半分もかかる。バイクなら、6000円以下に抑えられる試算だった。そもそもバイクで知らない同郷人と帰郷できることも、日本の会社にいながら主人公が決まったことも、まさに時代の変化だと感じた。

 

道中の黄成英さんと潘光軍さん

 同じサイトで帰郷する仲間を探していたが、結局広東省に残ることにした男性がいる。馮祖相さん(25)だ。同じく広西チワン族自治区の出身で、4年前、経済的な理由で大学への進学の夢を諦め、広東省の工場で働くようになった。交際中の彼女は地元の出身で、両親から出稼ぎ労働者と付き合うことを反対されていた。彼女の両親に認めてもらうため、馮さんは春節期間中、アルバイトをすることにした。大都会に憧れ、出稼ぎ先に根を下ろしたい気持ちは分かるが、一人で過ごす春節はどうなるだろうか。

 黄さんと潘さんは、大みそかの5日前に出発し、2日間で1000走ることにした。撮影班が車をチャーターし、彼らの走りを追い掛けた。広東省といっても、出発日の朝の気温は4度しかなかった。交代で運転する予定だったが、経験不足で防寒対策をほとんどしなかった黄さんは、十数分も運転するとすぐに指が動かなくなった。顔色を青くした黄さんはかわいそうだったが、車に乗せることはできない。それはディレクターが撮影対象に干渉してはいけないというドキュメンタリー制作のルールがあるからだ。正直なところ、面白い番組を作りたいディレクターは順調を祈らないと思う。主人公が道中挫折したり苦労したりして、最後無事に家に着くのが一番理想的だった。2人は寒さで下痢をしたり、道に迷ったりして、散々苦労したが、一言も文句を言わず真っすぐ家を目指した。そのバイクに乗る後ろ姿に心を打たれ、もう安全運転しか祈らなくなった。道中ほかのバイクが転倒し、土産物が道路一面に散らばった交通事故を目撃し、家族と一緒に春節を過ごす願いは、時には血の代価を払うことになるのだと痛感した。

 予定より1日遅かったが、2人は大みそかの2日前にふるさとに着いた。山岳地帯に位置し、ほとんどの村人が出稼ぎに出る。お正月になると、皆各地から帰ってきて、村は人の声や爆竹の音でにぎやかになる。潘さんが先に着いた家族に温かく迎えられ、二十数人の家族が参加する年に一度の宴会が始まった。黄さんはさらに泥道を40分も歩き、靴が雨で濡れ、足の感覚がなくなった。そんな黄さんがカメラに向かって言ってくれたのは、「泥道は汚くて歩きにくいが、ここが私の帰るべきふるさとだ」という言葉だった。9年前に父親が他界した黄さんは、母親一人に迎えられた。母親へのお土産は綿入りのコートだった。ピッタリしたサイズに満足した母親が息子に街での暮らしぶりを聞くことはなく、楽ではない状況が分かっていたかのようだった。黄さんは母親の肩を優しく揉み、親子で静かなひとときを過ごした。

 大みそかの日、広東省の町はいつもの渋滞の車列が消え、あちこちに赤いちょうちんが飾られていた。都市に残った馮さんは一人でチャーハンを食べた後、仕入れた線香を小さなバイクで寺の入り口に運んだ。家を買わないと結婚してくれない彼女との将来をずっと悩んでいたが、線香が次々と売れたことで、やっと笑顔を見せてくれた。いつか都会で余裕のある生活ができるようになったら、家族にも都会に出て来てもらい、また一家だんらんで春節を祝いたいという。本当は実家に帰り家族に甘やかしてもらいたいだろうが、大都会で生きていく決意をした以上、もう弱気ではいられない。

 千里を走って帰るにしても、大都会に残り将来のために闘うにしても、家族を思う気持ちは同じだ。除夜の鐘の音が聞こえてきた。私は実家の方向に向かって合掌し、「お父さん、お母さん、今年も帰れなくてごめんね」とつぶやいた。

 

母親の肩を揉む黄さん

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