流行と伝統凝縮の胡同 連なる店舗に若者の夢

2023-06-15 10:09:00

袁舒=文

李昀=イラスト

灰色の瓦と赤い扉、鳥籠と鳩の笛、おしゃれなバー、ジャズとロック……車が忙しく行き交う北京・北二環路の主要道路沿いにある少し変わった雰囲気の胡同(横丁)――五道営。ここは古い北京の味わいを残しながら、個性的なアートの活気にも満ちている。はやりの服を着た若者や外国人観光客がパジャマ姿で井戸端会議をしているおじさんやおばさんと親しげにあいさつを交わしている……。 

  

兵営から文学青年の聖地へ 

地下鉄5号線「雍和宮」駅のG出口を出ると、赤い僧衣を着たラマや、「国子監」(古代中国の最高学府)に願掛けに来た受験生が目に入り、濃厚な文化の雰囲気を感じた。道路の向こう側には、にぎやかな胡同。胡同入り口の灰色の壁には「五道営胡同」と書かれた銅板が掛けられ、その半分は満開のシナフジの花に隠れている。 

五道営胡同は東西に延びており、東は雍和宮大街、西は安定門内大街までの全長632㍍、南は国子監に隣接し、北は北二環路に面し、東側には参拝客が後を絶たない雍和宮がある。 

明の時代、五道営は兵営で、駐屯していたのが武徳衛(「衛」は明軍の基本単位)だったため、「武徳衛営」と呼ばれるようになった。清の時代になり、満州族が「武徳」の発音をもとに「五道」と改名した。乾隆帝以降は、基本的に胡同の形態となり、南側に住宅が密集するようになった。新中国成立後はますます住民が増え、今も胡同に住んでいる人によると、安定門から東直門までの城壁を修復した際、多くの職人がここに住み着いたという。 

10年以上前、五道営は他の何百もの古い北京の胡同と同様に、庶民が暮らす路地として、純粋な古き良き北京生活の雰囲気に満ちていた。朝は、伝統的な朝食――アツアツの豆乳と油条(中華風揚げパン)で一日が始まり、午後になるとご近所さんたちが通りに集まって世間話に花を咲かせる……だが、そんな時代は過ぎ去り、現在の五道営は大きく様変わりしている。 


ヴィンテージアクセサリーを扱うおしゃれなインテリアのお店(写真・袁舒/人民中国)

2006年、とある英国人夫婦が洋風のバーをオープンしたのをきっかけに、五道営は文芸的雰囲気の商業ストリートとしての道を歩み始めた。北京の胡同の商店街といえば、常に観光客が絶えない「南鑼鼓巷」が一番有名で、SNSで人気の店がずらりと並び、長蛇の列ができている。それに対し、五道営のにぎわいは控えめで、個性的で創造性にあふれた装飾や経営内容の店舗が多い。「海妖」という洋風バーのテラスには、シーシャ(水たばこ)のつぼが並び、仲よさげな数人が集まって夕日を背に水たばこをを吸いながら談笑している。ガチャガチャを売る小さな店舗は、若いカップルや下校途中の学生でにぎわっており、当たったおもちゃに一喜一憂している。見事なショーウインドーの店舗もいくつかある。欧州の宮廷風の凝ったデザインのドレスやジュエリーが芸術品のように展示されており、思わずシャッターを切り続けてしまう。レトロで華やかな店内は、映画『華麗なるギャツビー』の世界にいるような気分にさせてくれる。 

古風な胡同の建築と流行のショップの数々は一見大きなギャップだが、胡同の独特な雰囲気こそ、芸術や文学を愛する多くの若者を引き付け、彼らがここでビジネスを立ち上げている原因なのだ。 

五道営で民宿を経営する陳さんは、「民宿は地元の文化を体験する最高の窓口で、北京で最も特徴的な文化といえば胡同です。私は以前北京のCBD(中心業務地区)で働いていましたが、毎日単調で息苦しい会社勤めから逃れたくて、胡同に店を構えることにしたんです。最初は北鑼鼓巷でカフェを開き、その後、友人からこの民宿を譲り受けました。胡同の生活は本当に快適で、慌ただしくなく、居心地がいいです」と今の仕事を楽しんでいる。 

原震さんは、ドレッドヘア、タトゥー、ヘアカット、カフェが一体になった複合ヘアサロンでヘアスタイリストをしている。「以前はCBDの近く、東三環路にあるスタジオで働いていました。しかし、店が高層ビルの中にあったため、全てが決まった枠にはめられているような感覚で、仕事の楽しさがありませんでした。ここに来てからは、胡同のゆったりとした生活の中で、自分の芸術を環境と融合させる機会が増えました。オフィスビルでは実現できないことも、胡同では実現できるんです」 


「ブラインドボックス」のような胡同体験 

五道営では、古き良き北京の生活の息吹と異国情緒、文芸気質、伝統文化などの要素が632㍍の路地に凝縮されており、一歩歩くごとに違う景色が飛び込んできて、驚きに満ちている。ここを歩くのはまるでブラインドボックスを開けるような感覚だ。次に何が見えるか、どんな店に入るか分からない。100年以上の風雨にさらされて漆がはげた赤い木製の扉の隣には、欧州風のレトロなヴィンテージアクセサリーの店があり、全面ガラス張りのミニマリスト風のカフェは古風なチャイナドレスの店と隣り合っている対(赤い紙などに対句を書いたもの)が貼られた目立たない小さな赤い鉄の扉をくぐると、中はなんとヒップホップ青年が集まるロックバーで、水たばこバーからパンクファッションの若者たちが出てきたかと思えば、隣の家からは地元のおじさんが鳥籠を持って散歩に出掛けようとしている……まるで多くの小宇宙がここで交錯しているようだ。強烈なギャップに何度も驚かされるが、ここではその全てがいつもの日常なのだ。 


42区」というアメリカンバーのテラスで、友人を待つ人(写真・袁舒/人民中国)

全長600㍍余りしかない五道営だが、そのテイストは一つではない。ここには個人デザイナーが作ったジュエリーの店、書店、雑貨店、ブティックなどがあり、東京の下北沢のような雰囲気を漂わせている。ユニークでおしゃれな店舗が北京や全国各地から来た文学や芸術を愛する若者たちを引き付けている。ここは芸術、創意、個性、想像力にあふれ、さまざまな国や地域、文化の人々が集まっており、ここに居ると自分の頭が自由な発想で満ちていくように感じられる。 

ユニークなバーやカフェ、レストランを満喫するのもいい。濃厚な異国情緒も五道営の大きな特徴だ。北京の胡同文化に魅了される外国人は後を絶たず、五道営に進出した投資家の中にも外国人が少なくない。夜になると、細い路地で、赤いちょうちんに照らされる居酒屋は、新宿の路地裏にいるような気分にさせてくれる。本格的なスペイン料理やメキシコ料理は近くに住む外国人も引き付けている。五道営では外国人の姿をよく見かける。帽子をかぶったバックパッカー風の外国人観光者が大きなリュックを背負って、興味をそそられた店の前で立ち止まったり、近くに住んでいる外国人が、天気の良い午後、カフェのテラスでコーヒーを楽しんだりしている。 

しかし、新型コロナが流行したため、外国人観光客の姿は一時期、五道営で見られなくなった。その間、多くの店舗が経営危機に陥った。しかし、最後に彼らを支えたのは、胡同特有の経営モデルだった。20年から五道営で洋食レストランを経営している劉子斌さんは次のように振り返る。「一時期は本当に大変でした。幸いにも家主が3カ月分の家賃を猶予してくれたので、何とか乗り切れました。五道営では多くの家主と店主が良い友人関係で、一緒に困難に立ち向かってくれるんです」。これも五道営の雰囲気が他の商業エリアと違う理由の一つだ。ここで店を開く若者たちは、お金を稼ぐことよりも、友達と一緒に夢を実現することに興味があるようだ。「ここで店を開く店主は地元の人が多く、自分の趣味や夢を経営理念にうまく取り入れています。私たち北京育ちの人にとって、10代の頃は南鑼鼓巷や後海一帯に自分のバーを持つことが憧れでした。それはとてもかっこいいことでした。だから、新型コロナの流行真っただ中でしたが、チャンスを逃したくなかったので、開店を決めました。見て分かるように、この通りにはチェーンの飲食店はありません。全て、しっかりと主張のある店主が心を込めてつくった『夢』の空間なんです」 

 

昔ながらの温もりと若い血 

昔から胡同は北京の町の発展と密接に関係し、その歴史文化の変貌の縮図でもあった。ここでは古都文化や市井文化だけでなく、北京特有の文化精神や気品も育まれてきた。今では、古い胡同の伝統と若い流行が見事に融合し、新しい胡同の風景が生み出されている。これは伝統文化の継承でもあり、都市の変貌の姿でもある。 

北京で日本人建築家として活躍する青山周平さんは大の胡同愛好家で、自身も10年間胡同に住んでいた。彼にとって、胡同の空間構造やライフスタイルは古いものではなく、シェアライフの理念はむしろ未来感に満ちている。「私は若者が胡同に戻ってくることが古い建築物を保護・継承する最良の方法だと思っています。胡同に人がいなくなり、暮らしがなくなり、ただ殻になった建築物を保護するだけでは意味がありません。それこそ胡同文化の本当の消滅です。どの都市にも変化は起こりますが、古いものを尊重・継承しながら、現代の生活様式に融合させることが、都市の理想的な変貌だと思います」 

五道営の住民はほとんどが50代、60代の中高年だ。彼らは小さい頃からこの胡同に住んで、結婚して子どもを産み、日々暮らしてきた。しかし、彼らの子どもたちはほとんどマンションに引っ越してしまった。今では、ここで起業して店を開く若者たちが彼らにとって隣家の子どものようなものだ。そして、そういう「子どもたち」も五道営が代表する胡同の精神をしっかりと引き継いでいる。 

「冬の寒い時期には、向かいのおばさんが熱いお湯を持ってきてくれます。お客さんが多いとき、私たちが忙しくてご飯を食べる暇がないのを見ると、近所のおじさんやおばさんが買い物ついでに私たちに昼食を持ってきてくれます」と話すのは、五道営でオリジナルイラストをあしらった雑貨店を経営する張沙沙さん。ここで店を開くと、一般の商店街よりも人情味を感じられると彼女は言う。温もりはこうした些細な日常の中で伝承されていくものだ。 


イラスト雑貨を売る店。店主は犬や猫のイラストを描くのが好きで、子どもの頃、宮崎駿監督のアニメに魅せられて、美術の道に進んだ(写真・袁舒/人民中国)

前出の陳さんも同じように感じている。「胡同では何かあったとき、声を掛ければ住民でも他店のオーナーでもみんな出てきて手伝ってくれます。ある日、私が一人で荷物を運んでいたら、通り掛かった近所の人がそれを見て、『なんで声を掛けないんだ』と言いながら運ぶのを手伝ってくれました。中にはまだ名前も知らない人もいますが、ここでは『〇〇(店名)のところの』とか『〇〇号(胡同の番地)のところの』と呼び合っています。みんな呼び方にこだわらず、日常生活の中で自然に親しくなり、家族のように助け合っています」。このような体験から、彼女は自分が幼い頃、工場の団地に住んでいたことを思い出した。近所付き合いが希薄な現代都市では、このような素朴な人間関係は貴重に感じられるものだ。 

同じく前出の原震さんも若い文化と伝統文化の衝突と融合を身をもって体験している。本来ドレッドヘアやタトゥーなどはマイノリティーかつアンダーグラウンドな文化であり、上の世代の人々に受け入れられることは難しい。「見慣れたからかもしれませんが、ここに住むおじさんやおばさんは私たちを変な目で見ることはありません。彼らは若い文化に慣れていますし、普段も喜んで僕たちとおしゃべりします。好奇心から『ドレッドヘアはどうやって洗うんだい』と聞いてきます」と原震さん。彼も地元のお年寄りとおしゃべりするのが好きで、暇なときには近くの公園に行って、おじいさんたちの散髪をしながらおしゃべりしている。「話しているうちに、彼らの世代が私たちに優れた道徳観をたくさん残してくれたことに気付きました。私たち若者には、これらを受け継ぐ責任があると思います」

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