麗しい山水が囲む「宜城」 日常彩る「黄梅戯」の調べ

2023-08-26 18:06:00

李家祺=文李昀=イラスト

安慶市は安徽省南西部、長江下流の北岸に位置する。東周時代末期、安慶は皖国の所在地で、安徽省の略称「皖」はこれに由来している。東晋の詩人・郭璞がかつて「此地宜城」(ここは城を築くのに適している)と言ったため、安慶は別名「宜城」とも呼ばれる。 

現在の安慶市は、迎江区、大観区、宜秀区、桐城市など、10の行政区画で構成され、上空から見下ろすと、山と水と町がそれぞれ約3割ずつ占めている。天柱山、明堂山などは雄大で美しく、菱湖、秦潭湖、石塘湖などは青い波がきらめき、町全体が巨大な庭園のようだ。古代の文人墨客はここで素晴らしい詩を残したが、今日の安慶の人々は自分たちの両手で新時代の山水絵巻を描いている。 

  

長江沿いの緑あふれる町 

安慶は、安徽省を流れる長江が最初に通る、川や湖に囲まれた町だ。市に属する範囲には湖沼が点在し、河川が交錯し、川や湖の面積は225平方㌔に達している。近年、安慶は四方八方に通じる生態河川網を徐々に構築し、緑豊かな両岸の間を清らかな水の川が滞りなく流れる美しい景観をつくり上げた。 

水環境整備で美しい景観復活 

康煕河景観帯を歩くと、水面がきらきらと光り、さまざまな鳥がたわむれ、岸辺には緑が茂り、色とりどりの花が咲き乱れている。市民は三々五々ゆったりと散歩を楽しみ、人の歓声、虫の鳴き声、鳥のさえずりが美しい楽章を奏でている。 

康煕河景観帯は主に安慶市の宜秀区と迎江区の境界にあり、西は菱湖公園、東は秦潭湖に面しており、安慶市街地の重要な水系である。しかし、昔から安慶で暮らす人々の記憶の中で、かつての康煕河は全く違う姿だった。周辺の家屋の増加、汚水の排水システムの混乱により、康煕河は一時期、堆積物でふさがり、川幅が6㍍まで狭まり、雨季になるとよく氾濫していた。 

2012年から、安慶市は川の汚泥の撤去を行い、川幅を60~120㍍に広げ、以前は汚水が川に排出されていたが、それを全て下水処理場に流すようにする工事を行った。併せて、深刻な環境汚染を引き起こしている企業の営業を停止し、生態系の修復を進めると、康煕河の姿は徐々に変化した。さらに、ほかの水系とのつながりを整備し、河川や湖沼をつなぎ、流れをスムーズにし、その機能を復活させた。こうして、緑の木々が茂り、大勢の観光客が訪れる、美しい都市の風景が形成された。 

康煕河は、この長江沿いの町の水環境変化の縮図だ。近年、安慶市は全面的に水環境整備を進め、養魚池の立ち退き、河岸の整備、湿地の拡大、汚泥の処理を行い、都市水系を全面的に貫通させ、流動的な生態河川網を構築した。 

水環境整備に科学技術の助けは欠かせない。安慶市内の西小湖では、自主知的財産権のある底泥しゅんせつ船を導入し、水質浄化作業を行った。昨年9月から今年2月まで、西小湖全体の水の透明度は2530㌢から5060㌢まで向上した。西小湖から取り除かれた汚泥は、ろ過・圧縮されて固形物となり、野菜栽培や観葉植物用の土として使用され、廃棄物を宝に変える、閉ループリサイクルを実現している。


天柱山の風景(vcg)

10万羽の渡り鳥訪れる湿地 

真夏の菜子湖湿地は、蓮の葉が連なり、花の香りが漂い、鳥の鳴き声が響く。観光客は遊歩道に沿ってゆったりと散策し、湿地の美しい景色を堪能する。 

安慶市宜秀区羅嶺鎮にある菜子湖国家湿地公園は、総面積2539㌶、そのうち湿地面積が92%以上を占める。近年、公園保護センターは湿地の「保護修復」「持続利用」「調和共生」に注力し、常態化パトロールを推進し、資金を投入して植生回復を行っている。さらに、保護センターは宜秀区や羅嶺鎮の関連部門と協力して、禁漁・禁捕・禁牧などの法律の執行を毎年50回以上行い、湿地公園の生物多様性を効果的に守っている。 

菜子湖湿地の自然環境が改善されるにつれて、毎年10月から翌年3月までの間、ここに来て越冬する渡り鳥がますます増えている。昨年冬には、合計100種類以上、約10万羽の渡り鳥が菜子湖にやって来た。その中には、コウノトリ、タンチョウヅル、ナベコウなどの中国の国家重点保護野生動物も少なくなかった。鳥たちは低空を旋回したり、餌を捕まえたり、草むらでゆったりと太陽に当たったりして、澄んだ鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる。大勢の市民や観光客が次々と訪れ、魚が飛び跳ね、鳥が飛び立ち、人と鳥が調和する、この自然絵巻をカメラで記録していた。 

違法行為から希少動物守る 

安慶西江スナメリ移転保護拠点に入ると、皮膚にけがをして助けられた小さなスナメリが水中で楽しそうに泳いでいた。長江スナメリは「水中のジャイアントパンダ」と呼ばれ、世界で唯一の淡水のスナメリで、長江流域で唯一の水生哺乳野生動物でもある。環境に非常に敏感なため、スナメリを代表とする野生動物は長江の生態系の「バロメーター」と見なされることが多い。 

長江スナメリをしっかりと保護するために、2020年、安慶市人民代表大会常務委員会は、中国初の長江スナメリ保護の地方条例「安慶市長江スナメリ保護条例」を打ち出した。21年には安慶スナメリ省級自然保護区が設立され、その範囲は165㌔にわたる長江の安慶区間全体をカバーし、目下、長江流域最大のスナメリ保護区となっている。移転保護の面では、1312月、安慶西江に長江本流初のスナメリ救護センターが設置され、目下、西江に生息するスナメリの移転個体数は20頭近くになっている。 

張礼元さん(60)は西江スナメリ保護区パトロールチームの隊長だ。かつて彼は漁師で、19年に漁業をやめた後、スナメリのパトロールチームに入った。主に、違法な漁業や釣魚、長江スナメリ生息地の占拠や破壊といった違法行為の取り締まりを担当している。 

ここには、張さんのようなもと漁師が約10人いる。「私たち漁師は目が良いですから、この仕事に向いています」とはにかむ張さん。「それに、私たちはああいった違反者が出没する場所や時間をよく分かっているので、スナメリとその生息環境をしっかりと守るのに好都合です」 

パトロール員は大変な仕事で、寒いときも暑いときも、日夜交代で川をパトロールしなければならない。それでも、張さんはそこに自分の価値を見いだしている。「この仕事は私の長所を発揮し続けられます。しかも私も徐々にスナメリに情が湧いてきて、もう私の子どもみたいなものです」と笑う。 

本職のパトロールの仕事以外に、張さんは保護拠点が救ったスナメリのために小魚を買う任務も積極的に担っている。毎朝4時、彼はバイクに乗って20㌔離れた水産市場に行き、一番新鮮で品質が良い小ブナを選び、7時に戻って少し休憩し、それからすぐに仕事に入る。「漁師は睡眠時間が少ないですから、とっくに慣れていますよ」 

張さんは「保護の強化に伴って、この数年、パトロール中に違法漁業を発見することは少なくなりました。川の環境もどんどん良くなっています」と感慨深そうに話した。 


「ほほ笑みの天使」と呼ばれる長江スナメリ

 

芝居と文学で築かれた精神世界


元宵節(旧暦の正月15日)に夫婦の間で起きた出来事を描く黄梅小戯『鬧花灯』(写真・李家祺/人民中国)

安慶の地には、美しい山や川があり、優秀な人材や文化が集まっている。国内外に名をはせる伝統演劇もあれば、代々の墨客が残した有名な詩や最高レベルの文学作品もある。 

地元民に愛される優美な旋律 

安慶には昔から「昼は景色を見て、夜は芝居を観る」という言い方がある。ここでいう「芝居」とは、「黄梅戯」のことである。 

大雨が降るある夜、安慶市の黄梅戯会館に入ると、中は観客でいっぱいだった。白髪のお年寄りもいれば、今時の服装の若者、親に抱えられて座る子どももいる。老若男女関係なく、ヒマワリの種を食べたり、茶を飲んだりしながら、素晴らしい芝居の世界に浸っている。面白いせりふが観客の笑いを誘う。有名な歌の場面が始まると、舞台の下の観客たちも小声で一緒に歌い出す。 

安慶地域で発展した黄梅戯は中国の国家級無形文化遺産で、中国五大戯曲の一つでもある。その曲調は柔らかく優美で、言葉遣いは親しみやすくユーモアがある。100年余りの発展を経て、黄梅戯はすでに安慶の人々の生活に溶け込んでおり、夜になると、数人ごとに川辺に集まって、よく黄梅戯を歌っている。 

安慶地域は伝統演劇の蓄積が厚く、「京劇の鼻祖」とたたえられる程長庚も同地の出身だ。程長庚は安慶・潜山市の人で、清の道光2(1822)年に父親と共に上京。清の中・後期に北京で活躍した「四大徽班」(四つの安徽の劇団)の一つ――三慶班の班主(団長)と老生(中高年の男性役)の看板役者を務めた。程長庚は、梅巧玲(京劇の大家・梅蘭芳の祖父)と同じく有名な初代の京劇俳優で、伝統演劇を基礎として、節回しの変革と演目の革新を行い、徽戯から京劇への変化を後押しし、京劇芸術の形成に重要な貢献を果たした。 

摩崖石刻の詩と桐城派の散文 

潜山市の天柱山はユネスコ世界ジオパークで、主峰の天柱峰は標高1489・8㍍だ。園内の森林被覆率は97%に達し、数々の奇峰、怪石、洞窟、峡谷があり、山は険しく切り立っている。唐代の詩人・白居易はかつて詩の中で「天柱一峰擎日月、洞門千仞鎖雲雷」(天柱峰は太陽や月を持ち上げ、深い洞窟は雲や雷を閉じ込めている)とたたえた。 

天柱山には、雄大で美しい自然風景があるだけでなく、歴史文化の蓄積も非常に厚い。 

天柱山南麓には千年の歴史ある古寺・三祖禅寺があり、門前の石橋を渡って、突き当たりで顔を上げると、崖壁に「山谷流泉磨崖石刻」と2030㍍にわたって彫られた文字が見える。 

山谷に入ると、切り立った岩壁、生い茂った草木の間を泉水がしぶきを上げながら流れている。渓流の中・下流両岸の岩壁や、渓流の中の巨石の上に、唐・宋・元・明・清代から現代までの文人墨客によって刻まれた文字が300カ所以上ある。その文体はさまざまで、詩詞・歌賦・紀事・題名があり、また、行書・楷書・隷書・篆書・草書も全てそろっており、石壁の上の「書法博物館」さながらである。 

渓流の途中には、水を飲んでいる牛のように見える巨石が横たわっている場所があり、石牛潭と呼ばれている。少し上に行くと、つるつるした傾斜のある河床がある。反対側には巨大な岩石がいくつかあり、渓流に向いている側に文字がびっしりと彫られている。そこには北宋の文学者・王安石が書いた珍しい六言絶句――「水無心而宛轉、山有色而環圍。窮幽深而不尽、坐石上以忘帰」(心のない水が音を立てて流れ、美しい山が周りを囲んでいる。静かな渓谷は果てしなく、詩人はただ石に座り帰ることを忘れる)がある。そこからさらに前方に進むと、蘇軾の題詩が目に入る。「先生仙去幾経年、流水青山不改遷。佛拭懸崖観古字、塵心病眼両醒然」(先生が亡くなり何年も経ったが、ここの山水は変わっていない。岩壁をなで古い文字を見れば、汚れた心も病んだ目もすっきりする)。言い伝えによると、王安石がこの世を去った後、同じく北宋の文学者である蘇軾がここで王安石の詩を目にして、感じたことをそのまま表現したという。 

摩崖石刻だけでなく、山谷の景色もまた絵のように美しい。暑い日でも、山泉、怪石、木々の間を歩くと、時折涼しい風が吹いてくる。足をとめると、さらさらと水の音が聞こえ、「偸得浮生半日閑」(慌ただしい日々の中でひとときの安らぎを得る)という感じがする。 

山水の間に点在する歴代の詩のほか、安慶は、清代の文壇最大の散文流派「桐城派」とも深い関係がある。 

古風な桐城派文物陳列館(安慶・桐城市)には、桐城派の発展の過程が記録されている。同流派は主な代表人物が桐城出身者のため、「桐城派」と名付けられた。桐城派は文壇を200年余りリードし、作家1200人余りを集め、系統的かつ完全な散文理論を確立し、極めて豊かな文学作品を残した。桐城特有の自然と人的・文化的環境が、その誕生・成長に厚い土壌を提供した。明の中期以降、桐城東部は商業的に発達し、文化交流が頻繁になった。一方、住みやすい自然環境も、大自然を師とし、質実かつ簡潔な作風の形成にプラスの影響を与えた。清代初期に、桐城の作風は最盛期を迎え、有名人が輩出され、桐城派が生まれることとなった。 

  

民宿産業発展で古里を豊かに 

天柱山観光風景ロードを車で約20分走ると、環天柱山民宿集落に着く。山林と雲海が引き立て合う中、風情が異なるいくつもの民宿が点在している。そこでは、春には天柱山の花の海を観賞でき、夏には避暑や川下りができ、冬には天柱山スキー場でスキーができるなど、四季折々の風景があって楽しみが尽きない。 

王耀さん(38)は民宿「雲山影」のオーナーだ。彼はもともと旅行社の仕事をしていたが、近年天柱山が、日に日に人気を集める民宿産業に注力しているのを見て、古里に戻って自分の能力を発揮しようと決心した。王さんは自宅を民宿に改造し、2年余りの準備期間を経て、2022年12月に3階建ての白い建物の民宿を正式に開業した。建物の前は緑がいっぱいで、鳥のさえずりが聞こえ、花の香りが漂っている。後方は山々に囲まれ、木々の間に霧が立ち込めている。天気が良いときに大きな窓から見える天柱山の姿は、まるで絵画のように素晴らしい。 

客室内の設備はホテルに劣らず、床暖房、エアコン、バスルームなど現代的な設備が全てそろっている。このほか、民宿の中には3Dホログラムディスプレーが完備され、テーマレストランやマーダーミステリーの会場として使うこともでき、庭には室外プールやBBQエリアもある。開業以来、ほとんどの時期、客室は満室だという。 

近年、潜山市は道路、緑化、街路灯、排水などのインフラを大々的に整備し、民宿産業を発展させるための基礎を固めた。このほか、民宿業の発展を促す関連政策を打ち出し、民宿オーナーに関連助成金を提供し、連合審査メカニズムを確立し、営業許可証手続きのワンストップサービスを提供し、監督・管理を規範化するなど、民宿産業の発展に良好な環境をつくり出した。 

民宿産業の端の片方は消費者に、もう片方は村民の収入が増えて豊かになる夢につながっている。恵まれた観光資源を背景に、潜山の民宿は勢いに乗って発展し、農村観光のグレードアップを後押しする重要な力になっている。

関連文章