白と黒に引き立つ秋の彩り 故郷に注いだ商人の富と愛

2026-01-21 10:22:00

江西省北東部、上饒市に位置する婺源ぶげん県は、安徽省、浙江省と省境を接する静かな山水に抱かれており、「最も美しい郷村」と称賛される。中国古典絵画のような美しい風景で広く知られ、春には一面の菜の花畑が黄金のじゅうたんを敷き詰め、秋には紅葉した山々と農家の「晒秋シャイチュウ」が織りなすカラフルな色彩が人々を魅了する。だが、源の真の魅力は、写真に収められる風景の向こうにある。ここはかつて、深遠な歴史を持つ「古徽州」文化圏の重要な一部であった。山々に囲まれ耕地が少ない環境が、天下に名をはせた商人集団「徽商」を生み出した。彼らが故郷へ持ち帰った富によって、精緻な徽派建築の邸宅が築かれ、今も白壁と黒瓦の民家が渓谷や川辺に建ち、百年を超えて受け継がれてきた暮らしのリズムを守り続けている。 

里山の色彩といにしえの祈り 

ゆるやかに谷を横切るロープウエーが近づくにつれ、山肌に寄り添う篁嶺こうれいの古村落が姿を現す。目に飛び込んでくるのは、家々の窓辺や縁台いっぱいに広がる鮮やかな色彩だ。丸い竹ざるの上には、真紅の唐辛子、黄金のトウモロコシ、橙色のカボチャ、漆黒の豆、雪のように白い干し芋……。朝の光を受け、それぞれが大きなキャンバスに無造作に散りばめられたアクセントカラーのように輝いている。これが「晒秋」──秋に収穫した作物を乾燥させて冬に備える、何百年も続いてきた農家の風習だ。もともとは実用的な生活の知恵であった営みが、長い歳月を経て、今では里山の暮らしを描き出す民俗芸術へと昇華されている。

 

灰色の石を敷き詰めた細い路地に足を踏み入れると、干した唐辛子特有のかすかな辛香が漂ってくる。路地は細く、両側の家々の軒先から手を伸ばせば向こう側に届きそうなほどだ。地元で暮らす余春花さんが、自宅3階の縁台から慣れた手つきでトウモロコシを竹のザルに広げていた。彼女の作業は熟練しており、動作もリズミカルで、それぞれのザルが均等に日光を浴びるように気を配っている。「昔は冬支度が秋の大仕事だったんだよ。今は全国から観光客が、この光景をわざわざ見に来て、カメラを構えて夢中で撮る。私たちの当たり前の暮らしがこんなふうに絵になるなんて、不思議なもんですね」と、余さんは素朴な笑顔を浮かべる。彼女の背後では、徽派建築特有の雪のように白い壁が、鮮やかな収穫の彩りを一層引き立てている。そして防火用に設けられた馬頭壁が段差を描き、路地に陰影を落として変化に富んだ光景を演出する。そこには原郷の静けさと、人々の生活の知恵が美しく調和していた。 

この地の精神文化を探るならもう一つ、無形文化遺産である「儺舞なぶ」が欠かせない。3000年以上の歴史を持つ「舞踊の生きた化石」と称される儺舞は、災厄をはらい、村の安泰と五穀豊穣を祈る宗教儀式だ。源は比較的外界から隔たれた山間部にあるため、その古い形が原始的な色合いを強く残したまま、ほぼ完全に保存されてきたのだ。 

夕闇が迫る頃、篁嶺の山裾にある古い祠堂で儺舞の儀式が始まった。薄暗い堂内では、どらと太鼓が単調ながらも力強いリズムを刻む。その音は音楽というよりは、一種の原始的な鼓動であり、観る者を一気に日常から切り離し、神秘的な世界へと誘う。派手な彩色と誇張された造形の木面を着けた舞人が、重々しくも力強い足取りで舞い始める。揺れるかがり火が彼らの舞に合わせて、闇の中に巨大で躍動感に満ちた影を映し出す。面の表情は威厳に満ちたものもあれば恐ろしい形相のものもあり、舞の姿は剛健だ。そこに現代演劇の技巧的な美しさは見られないが、古代の民の祈りに由来する純粋な力を感じさせる。 

舞が終わると、舞台裏では年配の師匠が使ったばかりの面を丁寧に拭き、一つ一つ敬意を込めて箱に収めていた。彼は「開路神」の面を手に取り、語った。「儺舞は昔から『鬼戯』とか『舞鬼』とも呼ばれてね。面をかぶれば、もう自分じゃない。神の依代よりしろになるんだ」。彼の説明によれば、儺舞の上演前には必ず厳格な「開箱(箱開け)」と「請神(神招き)」の儀式があり、舞人は身を清め、心を慎まねばならない。舞っている間は面の神と一体となり、村人の願いを神に伝える。そして舞の後には「送神」の儀礼で面を恭しく戻す。さらに彼は続けた。「私は10代で師匠について習い始めた。師匠は『心が誠でないと舞に魂が宿らん』とよく言っていた。今私はただ、これを真剣に受け止めてくれる弟子を一人でも多く育て、この神と通じる道が、私たちの代で絶えてしまわないようにしたいだけなんだ」。祠堂の外では、儺舞の太鼓の音は静まり、遠い古代から連綿と続く、超自然的な力との対話を試みる虔敬けいけんさだけが涼やかな夜風の中に残されていた。 

建築に刻まれた徽商の夢

源を真に理解するには、そのルーツである「古徽州」を知ることが欠かせない。歴史上、徽州府は六つの県から構成され、その一つが源であった。山紫水明の地ながら、「土地の八分半は山、一分が田、残り半分が水路と屋敷」と言われる地勢ゆえに、耕地は乏しく、人々の生活は苦しかった。しかし、まさにこの厳しい環境が、唐宋以後、特に明清時代において、山を越えて商いに出る徽州人を生み出した。そして、中国史上、晋商と並び称される巨大な商業集団「徽商」を形成するに至ったのである。徽商は「なりわいを選ばず」活動し、その足跡は全土に広がり、海外にも及んだ。やがて彼らは江南の町の発展をけん引し、「徽商なくして町ならず」とたたえられるまでになった。彼らの大きな特徴は「商人でありながら儒を好む」こと。儒教を尊び、富を得るとその多くを故郷に注ぎ込み、祠堂を建て、邸宅を構え、学校を興した。富と儒家の倫理観、審美眼を故郷のれんがや石材の一つ一つに刻み込んだのである。 

徽商の大富豪によって築かれた古鎮、江湾鎮に足を踏み入れると、そこは立体的な徽州文化の歴史書のようだ。建築群全体につつましく優雅な趣が見られ、統一された黒瓦と無垢む くな白いしっくい壁、そして最も象徴的な、馬が空へ駆け上がるようなシルエットを描く「馬頭牆」が連なる。これらの高い壁は、火災を防ぐ実用性を持ちながら、古鎮の輪郭にリズム感と躍動感を与えている。重厚な「商」の字を模した門(門楼の形状が「商」の字に似ており、商業を尊ぶ意味が込められている)を押し開け奥へ進むと、徽派建築の核心である中庭(天井)に出る。陽光が中庭から降り注ぎ、建築の細部の一つ一つを優しく照らし出す。そこは、徽派建築の魂とも言える「徽州三彫」(木彫石彫磚彫せんちょう)の芸術世界が眼前に広がる場所だ。 

「三彫」の起源は明代の万暦年間にさかのぼり、清の乾隆の時代にかけて、徽商の富が頂点に達し、彼らがこぞって故郷に屋敷や宗祠を建てて家門の栄光を誇示したことから、その技術も最盛期を迎えた。緻密で華麗な彫刻は、見る者を驚嘆させる。 

細かに観賞すれば、これらの彫刻の題材は実に多岐にわたり、豊富な文化的メッセージを内包している。木彫ははりや窓格子、欄干などに見られ、深い浮き彫りや透かし彫りの技法により、歴史人物や「桃園の誓い」などの戯曲の物語が生き生きと表現されている。石彫は柱礎や門の鼓石、門楣もんび(門の上部にわたされたはり)などに広く用いられ、節操を象徴する松竹梅や家を守る瑞獣が刻まれることが多い。磚彫は門楼や門罩もんとう(門の枠の上に築かれた額縁や屋根)を飾り、研磨された灰色れんがが、名工の巧みな手によって、層の豊かな、繊細で透けるような山水、花鳥、人物図へと生まれ変わる。 

「三彫」の国家級無形文化遺産継承者である兪有桂さんは、「鯉の滝登り」の彫刻の図柄を指して、「これは源建築で最もよく使われる題材の一つです。科挙や商いによって運命を変えたいという徽州人の切実な願いを表しているんです」と説明する。 

兪さんは江湾鎮汪口村の生まれで、村にある清の乾隆年間に建立され、精緻を極めた木彫で名高い兪氏宗祠が、彼の芸術の原点となった。「兪氏宗祠に施された彫刻の数々は、どれをとっても造型が素晴らしく、まさに神業のようでした」。兪さんはこの話になると、今でも目を輝かせる。「こうした見事な彫刻を眺めるたびに、私は胸が熱くなり、創作意欲が沸き立つのです」。彼は14歳で師匠に弟子入りし、大工の核心技術を習得した後、安徽、福建、広東などへ赴いて各地の技術を学び、さまざまな流派の長所を融合させて、自身の鮮明な芸術様式を確立した。現在、源における古建築の修復、民宿の建設、さらには文化クリエーティブグッズの開発に至るまで、兪さんとその弟子たちが古き「三彫」の芸術に新たな命を吹き込もうとする努力をそこに見ることができるのである。 

山里の食卓と花畑で楽しむ茶席 

源の食の哲学は、山々に囲まれ、小川が縦横に流れるこの土地の風土に深く根差している。自然の恵みを大切にし、素材そのものの味を追求する姿勢は、どの家庭料理にも見られる生活の知恵である。地元のことわざ「肉料理ならどんなものでも蒸せるし、野菜料理ならどんなものでもあんかけにできる」は、その調理法の神髄を端的に表している。つまり、肉料理は蒸し焼きにして本来の味わいを保ち、野菜料理はとろみをつけることで複数の素材の味を調和させるのである。

源で最も名高い郷土料理といえば、「源荷包紅鯉魚」だろう。「荷包紅鯉魚」は全身が鮮やかな紅色で、古人が携帯した巾着袋(荷包)に似た、ずんぐりとした10)愛らしい形状が特徴の、清代から育てられてきた独特の品種。県内の山の湧き水で鯉を養殖している李建華さんは、池を自由に泳ぐ鯉を見ながらこう説明する。「この魚は観賞用としても十分楽しめますが、身は引き締まり、土臭さがまったくありません」。鯉は縁起の良い赤色から、祝いの席には欠かせない一品。しかし、調理法は割とシンプルで、少量のショウガ、ハム、シイタケを添え、酒醸チューニャンと醤油で味付けして蒸すだけで、魚本来の甘みが存分に引き出される。 

もう一つ、源の人々に日常の味として親しまれているのが「糊豆腐」(豆腐のとろみあんかけ)。豆腐、豚肉、シイタケ、干しエビ、豆類など、さまざまな食材を細かく刻み、米の粉でとろみをつけた濃いあんと共に煮込んだ、心も体も温まる料理だ。ある地元の民宿で夕食を取っていると、キッチンから絶え間なく食材をかき混ぜる音が聞こえ、主人が大きな鍋にたっぷり入った熱々の糊豆腐を運んできた。ほのかな焦げたような香りが食欲をそそる。「山里に暮らす人は、食材の一片も無駄にしないよう心掛けています。いろいろな切れ端を一つの鍋にまとめ、じっくり煮込めば、心も体も温まるおいしい料理の出来上がりです」。民宿の主人の言葉は質朴そのものだ。この糊豆腐のように、作り方は素朴だが素材はしっかりしており、味の重なりが豊かで、心安らぐおふくろの味を思い起こさせる。 

食事の最後を締めくくるのは、地元産の源緑茶だ。源緑茶の歴史は古く、唐代の有名な茶の専門家陸羽が著した『茶経』には「きゅう州の茶は源の山谷に生まれる」との記録がある。明清時代には、朝廷に献上する「貢茶」として指定されたこともあった。源では「客が来れば茶を注ぎ、両手で差し出す」という習わしがあり、客が訪ねてくると、主人はまず第一に茶を出す。しかし、源の茶の趣を味わう最高の楽しみは、室内の茶席にとどまらない。春、あの金色の海原のただ中で味わうのも至福だ。 

春先、暖かな風が丘を渡ると、源は1年で最も華やかな季節を迎える。山一面に咲く菜の花は黄金の波のように広がり、幾重にも連なる段々畑や白壁に黒瓦の集落を優しく包み込む。空気は濃厚な花の香りと、新たに耕された土の清香で満たされる。この時期に源を訪れれば、地元の茶人たちはこう勧めてくれるだろう。「花畑で新茶を一杯いかがでしょう。まさに春の味ですよ」 

そこで、花畑の傍らの開けた場所か、老木の木陰に茶席を設ける。その年の清明節前(春先)に摘まれた最高級の新茶「頭幇茶」の中でも特に柔らかな芽を、地元の清らかな山の湧き水で入れる。茶杯の中で茶葉がほぐれ、透き通った茶の色が広がり、独特の桜草のような香りを放つ。この茶席の素晴らしいところは、果てしない花の海の中に身を置き、茶杯を手にしたとき、吸い込むのは清らかな茶の香りだけではないということだ。周囲の花の香りは目に見えない霧のように、杯から立ち上る茶気と交わり、口に含む茶湯は、かすかに甘い花の蜜の風味さえ帯びているように感じられるのである。これが源でしか堪能できない極上の味わいと忘れられない記憶となって、いつまでも心の中に残り続けることとなるだろう。 

人民中国インターネット版

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