串焼き味わい聊斎を聴く 窯火と瑠璃きらめく古都

2026-06-29 14:57:00

郷土に息づく伝統 

長い歴史を持つ博には、多彩な民俗文化や伝統芸能が存在し、人々の努力によって世代を越えて継承されてきた。 

民俗の記憶を守る 

清時代、周村には各地から商人が集まり、大規模な市や廟会(縁日)が自然発生的に形成され、地域の民俗文化の発展を大きく促した。この時期に生まれた「周村芯子」は、現在でも廟会で最も注目を集める演目の一つである。 

重厚などらの音とにぎやかな太鼓の響きに合わせ、芸能隊がリズムに乗って秧歌ヤンコを踊りながらゆっくりと進んでくる。しかし、この華やかな舞踊はあくまで序章にすぎない。やがて長方形の小旗が掲げられ、演目名が示されると、いよいよ芯子の本番が始まる。

 

赤い布を頭に巻いた十五、六人の男性が台座を担ぎ、その上には楼閣風の装飾が施され、さらにその上に細長い高台が設けられている。嫦娥じょうがに扮した役者がその頂に片足で立ち、高く宙に浮かぶ。桃色の刺しゅう衣の長い袖が翻り、担ぎ手の動きに合わせて体が上下する様は、危うさと優雅さを併せ持ち、観客から大きな歓声が上がる。 

清時代の周村では、廟会になると人であふれ、舞台を見ることすら困難であった。そこである地元の芸人が高足や灯台から着想を得て、鉄棒を「灯芯」とし、それを台座に差し込むことで新たな舞台を考案した。役者は鉄棒の先端に片足で固定され、まるで灯芯の上で揺れる炎のように見える。この発想から「芯子」と呼ばれる芸能が生まれたのである。 

周村区大街街道弁事処のコミュニティー(社区)活動室では、周村芯子の無形文化遺産継承者である張可水さん(87)が、数多くの頭飾りや舞台衣装の間に身をかがめ、一点一点丁寧に整えていた。 

「この頭飾りをご覧ください。見た目の美しさはもちろん、軽さも重要なのです。そうでなければ、芯子の頂上に立つ役者の演技に支障が出てしまいます」と、張さんは指先でそっと飾りに触れながら説明した。 

張さんにとって、芯子は単なる観光客向けの見せ物ではない。その真の意義は、広い参加性と人々を結び付ける力にあるという。「昔は商人たちが人を集めるために催していたが、やがて地域住民を結び付ける絆となった。担ぐ者、支える者、演じる者、観る者――一つの行事で皆が集まるのです」と語る。 

しかし現在、この伝統技芸の継承は厳しい課題に直面している。ベテランの伝承者たちは高齢化が進み、一方、芯子の訓練や上演は非常に大変で、さらに現代は娯楽の選択肢も多様化しているため、若い世代の担い手が不足している。役者の確保や体系的な継承が難しくなっているのである。 

「それでも何としても、世代を超えて伝えていきたい。ここで途絶えさせるわけにはいかない」――これが張さんの最も強い思いである。そのため彼は、伝統演目に周村の絹織物の歴史など地域の要素を取り入れ、より土地に根差した内容へと工夫している。また学校にも足を運び、子どもたちに芯子の歴史や物語を語り聞かせている。「伝統を面白く、親しみやすくすることでこそ、若い世代の関心と愛着を引き出せる。そうして自然に文化の根が受け継がれていくのです」と張さんは語った。 

茶館に新たな物語を紡ぐ 

午後、張店区の金帯公園のサンクン広場にある聊斎茶館に足を踏み入れると、陽光が大きな窓から差し込み、木製の茶卓を柔らかく照らしていた。ここは伝統的な茶館ではなく、もともと文具会社の店舗だった建物を転用した複合型文化空間である。壁際の棚には文具や文化クリエーティブ商品が並び、中央に設けられた小さな舞台では、曲芸の演者が地元の方言で聊斎俚曲(『聊斎志異』をもとにした語り芸)を語っている。 

すでに触れたように、志怪小説の名作『聊斎志異』の作者である蒲松齢は博の出身である。晩年、彼は自らの創作した台本に当時流行していた俗曲や時調を組み合わせ、独特の音楽文学形式を生み出した。歌唱語り演技を通して物語を語り、人物を描き、倫理観を示し、社会の現実や封建社会の暗部を批判するものである。彼の書斎号が「聊斎」であったことから、この芸能は「聊斎俚曲」と呼ばれるようになった。 

舞台上では、中年の父親役が斜め襟の灰色の長袍をまとい、眉をひそめながら不孝な息子の話を語る。両脇に立つ若い息子役が、ところどころで短い語りを挟む。やがて父親の高らかな語りで話が締めくくられ、その後、哀切な旋律の歌へと移る。歌詞は一字一音で丁寧に歌われ、文末の音が引き延ばされて旋律を描く。この「引き延ばし」は、聊斎俚曲における代表的な感情表現の一つである。 

客席では、20代前半と思しき若者たちがふた付きの茶わんを手に、じっと聴き入っている。滑稽な場面では思わず笑みがこぼれるが、演者の邪魔にならぬよう、そっと顔を伏せて茶をすする。 

伝えられるところによれば、300余年前、蒲松齢は蒲家庄の東に茶屋を設け、往来の商人たちとの雑談から奇聞異事を集め、『聊斎志異』を書き上げたという。現代の聊斎茶館は、まさにその現代版の「物語の集積地」であり、人々にぬくもりある文化体験を提供しているのである。 

人民中国インターネット版

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