『魯迅的都市漫遊:東亜視域下的魯迅言説』
『魯迅――東アジアを生きる文学』
藤井省三 著 潘世聖 訳
新星出版社 2020年5月第1刷
劉檸=文
1909年、明治時代の評論家である三宅雪嶺が、彼の主宰する言論雑誌『日本及日本人』で、周氏兄弟(魯迅と周作人)が翻訳・編集した『域外小説集』を「宣伝」した時から数えると、日本の知識界が魯迅を受け入れてからすでに110年がたっている。魯迅の存命中、日本ではすでに数種類もの伝記や小説集、『魯迅選集』などが刊行されており、没後1年もしないうちに、全7巻の『大魯迅全集』が改造社から出版され、その作品は日本の「国民文学」ともなった。これはおそらく魯迅と同世代の作家たち、そして後の世代の作家たちとの最も際立った「格差」だと言える。
『魯迅――東アジアを生きる文学』の著者である藤井省三は、明らかにこうした格差を意識しており、同時に魯迅の東アジア社会との同時性も意識していて、こうした同時性の中で「魯迅の今日的意味合いとは何か」を新たに考え直している。一方で魯迅は、日本とのつながりが極めて深い文学者であり、日本がなければ文学者としての魯迅はなかったと言ってもよいだろう。またもう一方で、魯迅文学は現代中国を語る上で重要な構成物となっていて、日本および東アジアを述べる上でも同様に不可欠なものと言え、その中から東アジアの共通性と多様性をはっきりと見て取ることができる。これもまた、「20世紀の間ずっと、東アジアの読者はさまざまな角度から魯迅を読んできて、21世紀に入った後には、東アジア共通のモダンクラシックとなり、依然として人々に読み継がれている」ことの理由であろう。
藤井省三によると、魯迅は阿Q、閏土(ルントー、『故郷』の中の登場人物)、祥林嫂(シァンリンサオ、『祝福』の中の登場人物)などの一連の郷土文学のイメージがある文学者であるが、実際の彼は、早々に金銭的自由を獲得した都市作家である。魯迅を語るなら、彼が遍歴してきた都市についても注目する必要がある、と藤井は考える。ある意味からすると、魯迅の一生は、東アジア諸都市を遍歴する旅でもあった。彼の旅の軌跡は故郷である紹興に始まり、南京・東京・仙台・北京・廈門・広州・香港の諸都市を経て、1927年に上海に至り晩年の10年を過ごしている。明らかに魯迅およびその文学の独特な個性と気質は、これらの都市と密接な関係がある。
そのため同書では、魯迅の東アジア都市遍歴を軸として、その生涯と作品をたどりながら、説明と探求を行っている。この部分の紙幅が最も多く、最も労力が費やされている。日本の学者として、藤井は東大文学部の深い蓄積を持つ比較文学というツールと、一般的な中国の知識人に比べるとはるかに鋭敏な都市感により、どの都市においても特定のシーンと結合させ、具体的にテキスト分析を行い、手堅いだけでなく、深みもあり、今まで誰も気付くことがなかった多くの説を提起している。
このほか、日本の戦後の新世代の中国文学者・魯迅学者として、藤井省三は、日本の魯迅受容史について、村上春樹までもその考察対象としている。最後の一節に「村上春樹の中の魯迅」があり、藤井は村上作品の中に見られるさまざまな魯迅を示す記号に対して説明を加え、さらに村上文学と魯迅文学との精神的つながりについて論証している。この部分の紙幅はさほど多くないとはいえ、最後の山場的な色彩を帯びており、さらに藤井のひそかな結論の一つである「かつて魯迅が日本に現代の洗礼をもたらしたのと同様に、魯迅の影響を深く受けた村上文学もまた、中国にポストモダン文化の『逆反射』をもたらすのは必然である」という結論をはめ込んだものとなっている。
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