居酒屋・はしご酒

2020-03-26 16:45:43

劉徳有=文

庶民の息抜きの場、憩いの場としての居酒屋は、鎌倉時代の頃から街道や宿場などに姿を現し、江戸時代には、江戸の町々に店を構え、関東一帯の村々にも普及したと言われているが、その頃の居酒屋は、店内に粗末な食卓を置き、しょうゆの空きだるなどを椅子代わりにして、表に縄のれんを下げ、手軽に客に酒を飲ませたり、さかなを供していたそうだ。筆者が日本で新聞記者をしていた頃、全国どこへ行っても居酒屋があり、昔の名残りをとどめた焼き鳥屋、おでん屋、田舎料理屋といったさまざまな形態のものがあり、洋風の趣向を凝らしたものまであった。最近耳にしたことだが、東京で「中華居酒屋」なる看板を見た人がいたとか。中国と日本の文化の相互影響が、こんなところにも見られるということか。

居酒屋という名称は紛れもなく日本語である。これが、中国の改革開放の波に乗って、いつの間にか中国にも伝わって日本情緒豊かな居酒屋が誕生し、言葉そのものが中国人の間に次第に定着しつつある。居酒屋が中国に店を構えたのは東北地方の長春が第一号だと言われているが、それはいつ頃のことか定かではない。北京に居酒屋ができたのは、2011年頃というからそんなに遅くもない。いま上海、大連などの町にも次々と居酒屋が店を出しており、日本的な情緒と雰囲気を出すために、赤ちょうちんをつるしたり、のれんを掛けたり、店の中の作りなどにも腐心をしているようだが、中国の居酒屋は庶民向けというより、むしろ町のホワイトカラーのような中流階層を目当てにしているのではないかと思われる。店の中の雰囲気も日本の一般の居酒屋とは違い、イマイチの感を免れない。もちろん利用者の中には気を腐らして腹いせに一杯という者もないではないが、総じて客は紳士的で、日本の居酒屋のように、店のおかみさんに気軽に話し掛けたり、周りの常連と話し込んだり、仲間と一緒に上司の陰口をたたいたりする光景は見られない。

 

日本的な雰囲気に満ちた上海の居酒屋(劉徳有氏提供)

 

中国の居酒屋に人気があり、客が入るのは、おそらく日本の文化に接し、日本の味を賞味したい一種の新鮮感からかもしれない。

ところで、居酒屋のような酒場は昔中国にもあった。酒肆、酒家と呼ばれ、庶民の間ではもちろんのこと、酒飲みなどにも愛されていたようだ。その証拠に、唐詩を例に引いてみよう。

詩聖と呼ばれた杜甫の有名な詩『飲中八仙歌』に、詩仙・李白を歌った句があり、「酒家」の言葉が見られる。

 

 李白一斗詩百篇  李白一斗 詩百篇

 長安市上酒家眠  長安市上 酒家に眠る

 

さらに、晩唐詩人の第一人者と言われた杜牧の詩を引用してみよう。

 

  清明時節雨紛紛  清明の頃に そぼ降る小雨

 路上行人欲断魂  道行く旅人 愁いに気が滅入り

 借問酒家何処有  この辺りに酒家あるかと尋ぬれば

 牧童遥指杏花村  牛飼いの少年 遥かに指さす杏花村

 

自己流に訳してみたが、この詩の中にも「酒家」という言葉が出てくる。今、中国では「酒家」や「酒店」といえば、もっぱら料理屋やホテルを指すことが多い。居酒屋は「小酒館」と普通呼ばれていたが、居酒屋の話で思い出すのが魯迅の小説『孔乙己』だ。官吏試験に落第した没落の読書人、孔乙己を主人公にした小品で、文中に魯鎮の居酒屋「咸亨酒店」の情景描写がある。筆者が幼年時代を過ごした大連にも、我が家のそばにこのような居酒屋が何軒かあった。1950年代に北京に転勤になってからは、宿舎の近くの居酒屋で労働者がちびりちびりやっている光景をよく見掛けたものだ。しかし、近代化の波により、その後おしゃれなバーやレストランに押されて、昔風の居酒屋は急速に姿を消していった。

 

小説『孔乙己』の居酒屋の場面を描いた挿絵(劉徳有氏提供)

 

  酒の話になると、若いころ日本で経験したことが忘れられない。筆者の観察だが、仕事を終えて帰宅した日本の男性のささやかな楽しみに「晩酌」がある。「晩酌」という言葉は中国にもあるが、あまり使われることはなく、「晩飯時,来両盅」の方が一般的だ。これは「夕飯のとき、一杯やるか」という、ややくだけた言い方になる。

 

 しかし、日本の男性の多くは退社後、真っすぐ自宅に戻って奥さん相手に晩酌するより、飲み屋に潜り込んで一杯やるのを好むようだ。中には一軒だけでは飽きたらず、他の店をのぞき、ついつい一晩で何軒も飲み歩く人もいる。

 

 飲み屋を立て続けに飲み歩くのを日本語では「はしご酒」、略して「はしご」という。なんともうまい言い方で、「はしごを登る」が、「次第にエスカレートする」を連想させるところが素晴らしい。

 

 中国語では「はしご」を「梯子」と言うが、残念ながら「はしご酒」なる言い方はない。「串酒館喝酒」と直訳風にしてみても、うまく飲み歩く感じが出てこない。いつか、中国在住の阿南惟茂大使から、「串」の字からは、貫く、歩き回る、出入りするがイメージできて、横のつながりを連想させるが、酒屋を「はしご」するうち、さらに酔いが回って言動が怪しくなるという感じまでは出せない、という善意の「もの言い」がついた。

 

 日本にいた頃、飲み屋や街角の屋台でサラリーマン風の男性が一人黙々と、早いピッチで飲んでいる光景もしばしば目にした。いうところの「やけ酒」である。中国語ではこれを「喝悶酒」という。「酒で憂さを晴らす」という言い方は、中国語の「借酒澆愁」(酒を借りて愁いにかける)に当たるだろう。

 

 それにしても、酒は中国の悠久の歴史の中で、常に香り高い文化であったと思う。3000年ほど前の殷朝末期の暴君、紂王のように、酒色に溺れ、豪奢極まりない生活をすることを例えて、「酒池肉林」という言葉まで生まれたが、酒にはこういうネガティブな一面がある反面、より重要なポジティブな一面もある。それは歴代中国の文学と深い関わりがあり、中国文学史のほとんど全てのページに酒の香りが漂っているといっても過言ではあるまい。

 

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