変わる郷村の原体験を物語に 鏡のような小説『宝水』

2024-02-04 15:49:00

中国社会科学院日本研究所助理研究員 熊淑娥=文 

1119日、喬葉(チァオイエ)は小説『宝水』で第11回茅盾文学賞を受賞し、70後(1970年代生まれ)の女性作家初の快挙を成し遂げた。舞台は中国の片田舎。不眠症で新聞記者を辞めた農村出身の地青萍(ディ チンピン)が、旧友の原承功(ユエンチョンゴン)の故郷宝水村で民宿の経営を手伝うまでの物語が、平易だが繊細な文体で描かれている。「よそ者」地青萍は次第に田舎生活に溶け込み、農村建設に携わる専門家の(モン)(フー)()、末端幹部の劉大英(リウ ダーイン)柳編み作家の曹建業(ツァオジエンイエ)、豆腐店の豆哥(ドウグー)豆嫂(ドウサオ)夫婦らと共に、古びた村を文化の香り漂う観光村に変貌させるという、大きな時代の変化を体験する。 

私的体験の作品への昇華は、作家の腕の見せどころだ。1972年生まれの喬葉は河南省の農村で幼少期を過ごし、師範学校卒業後は焦作(ジァオズオ)市の外れで4年にわたって「田舎教師」になる。その後、故郷の修武県や省都の鄭州で働き、首都北京での職を得た。修武県で盛んになった民宿業が喬葉に創作のきっかけを与えたようだが、作家活動を始める前の20年にわたる郷村経験が、作品に色濃い郷土色と独自の地域性を添えることに役立ったはずだ。 

作者の河南省での体験は、四季が冬―春―夏―秋と移り変わる章立てにも反映されていて、連綿と続く中国の農耕文化の優美な生命の鼓動を伝え、作中に描かれた山村の風景、月日の流れ、方言、人々の心情は、今の中国の農村の変わりようを生き生きと表している。 

それぞれの時代の実体験描写には、どの作家も心を砕く。茅盾文学賞受賞時に喬葉が発した「作家と時代は、波濤と海、作物と土地の関係のようなもの。『弱水三千取一瓢飲』(水がどれだけあっても、ひしゃくでひと口飲めば十分)ではあるが、そのひと口には時代という名の成分が必ず含まれている」というコメントは、『宝水』に記した実体験とその時代特有の経験が、彼女にとっていかに意義あるものなのかを示している。 

小説の舞台は喬葉の故郷である河南省だが、郷村的要素は河南以外の場所からも得ているという。『宝水』の構想を練り始めた78年ほど前から、喬葉は多くの郷村を訪ね歩き、現地の生活に深く浸った。甘粛省、貴州省から江西省、浙江省へと歩を進め、故郷河南省南部の信陽市堂村、河南省北部大南坡村、一斗水村では実際に暮らし、近年の農村美化建設による居住環境の改善、トイレ環境整備、道路整備、ゴミ分別、児童教育、インフラ整備などによって変わりゆく郷村を目の当たりにし、作品へと転化した。つまり『宝水』は、中国の農村が静的な伝統文化の符号から動的な開放文化の形態へと転換するさまを凝縮した作品といえるだろう。 

作家の成熟度は、その作風から見て取れる。中国文学において、「郷村」というテーマはまさに宝の山であり、河南文学の系譜では、豫東(「豫」は河南省の別称)の劉慶邦、豫南の周大新、豫西の閻連科、豫北の劉震雲、豫中の李佩甫を代表とした「郷土文学」の古い勢力が強かった。 

喬葉はかつて「郷土」という概念から逃れようとしたが、彼女の創作は「ある種、運命に定められた精神的帰路」を経て次第に「郷土性」と「女性化」に回帰している。具体的にいえば、『宝水』では個人と時代という二つの視点から発せられる「二つの声」、そして多層的な構造で物語を進めている。例えば、故郷の福田荘と今住んでいる宝水村の歴史、実祖母の玉蘭と友人の原承功の祖母迎春の人生経験の再認識など、地青萍の実体験が一つの声で、もう一つの声は、村の史料館の建設や、老白(ラオバイ)の息子が白(アルミナシリカ)を転売し、それを大星家の娘が告発した「事件」などから見えた、「公的な規則と村人にとっての道徳」といったダブルスタンダードの思考だ。 

この小説は心理、地理、時間などいくつもの構造で展開されている。心理的構造は主人公青萍の心の変化が主な要素で、地理的構造は舞台の宝水村に対する文学的地理分割、つまり東掌、西掌、中掌という三つの地域と、関帝廟、娘娘廟(ニャンニャンびょう)、宝水泉、老祖槐などの文化的スポット。時間的構造は旧暦の1月17日に始まり大みそかで終わる四季の移ろいであり、小説の章立て自体が、第1章の「落灯」から終章の「点灯」まで、四季に呼応したものになっている。女流作家の付秀瑩も農村を題材にした長編小説『野望』(2022年)を書いているが、これも二十四節気で章立てされており、『宝水』と同様の構造を持っているといえる。 

作中の言語は作風の指標ともなる大切な要素だ。郷村がテーマであれば、方言の扱い方が作品に大きく影響する。作家の汪曽祺は『小説技巧常談』で、「最も熟知し、最も理解し、その妙を最も分かっているのはやはり故郷の言葉、すなわち『母舌』だ」と言っている。『文学報』の陸梅編集長は『宝水』について、「書き言葉3割、残り7割は方言」とコメントしている。喬葉は執筆に当たって故郷の方言資料集を持ち歩き、場面に合わせて方言を分かりやすい表現に変えたという。例えば豫北には「该娇娇,该敲敲(子どもをたたくべきときはたたき、甘やかすべきときは甘やかす)という、子どものしつけを表す言葉があるが、方言をそのまま書いたのでは読者に通じないと考え、本来の雰囲気を残しつつ意味が誰にでも通じる、「该娇就娇,该敲就敲」という言い回しに変えている。『宝水』は女性目線で新たな郷村の空間美学を構築し、言葉選びで生き生きとした農村の風景を描き出すことで農村小説の新たな語り部となり、郷土文学の伝統を踏襲しつつも、豊かな感性と理知で独自のスタイルを確立している。 

郷村はノスタルジアを具現化するもので、農耕文明の歴史を背負い、人と自然が共生する伝統的な姿を見せてくれる。人類の歴史から見ても農村の衰退は世界的な問題で、都市化と工業化を進めてきた帰結ともいえる。 

今の中国では、広大な農村が全国的な都市化で人々の視野から次第に追いやられつつある。小説『宝水』はそんな「いま」を背景に、都市部で中間層として暮らしていた地青萍が帰郷し、「よそ者」から「地元民」へと視点を変えることで、郷村の原風景を再発見するという物語だ。登場人物の原承功や趙順が故郷と都市を行き来しているように、今の中国では人々が都市と郷村を行き来することで、郷村に根付いた倫理と社会秩序に影響を与え、郷村を変化させている。「宝水は鏡の如く、常にそれを見せ続けてくれる」という感覚は郷村で生まれ育った者のみが知るもので、郷村出身の者にとって、郷村とは他の土地を見る際の比較物なのだ。今の中国の郷村で行われている「美しい郷村の構築」と歩みを共にする『宝水』は、文学的なイマジネーションと実生活の共存を果たしつつ、強い時代的感覚と臨場感をもって壮大な歴史的変遷と未来の理想図を描いた力作といえよう。 

 

関連文章