日中国交正常化50年、省察の秋(とき)に

2022-08-05 10:42:20

文=木村知義

50年前の9月、日本と中国の国交正常化がなされ日本社会は沸き立ちました。北京から届くテレビの中継映像に言葉にならない感動とともに見入ったこと、そこに至るまでの厳しい日中関係と日本の政治、社会状況が深い感慨を伴ってよみがえります。 

しかし、残念ながら、「50周年」を迎えての高揚感、熱気はいまの日本社会にはほとんどありません。それどころか、日本のメディアでは事あるごとに中国の「脅威」が語られ、書店にはいわゆる「嫌中本」が積まれ、目を、耳を覆いたくなるような中国にかかわる言説があふれる日々となっています。 

もちろん国交正常化「50周年」を記念するさまざまなイベントや企画も進んでいます。それらはとても大事で意義のあることですが、日本社会の現実を直視すると、私たちに国交正常化の歴史を遡って深い省察を迫るものとならざるをえないと痛感するのです。 

  

あらためて過去の歴史と真摯に向き合う 

まずなによりも、国交正常化というときの「正常化」とは何であるのか。ここへの省察と想像力を、いま、われわれが持てるのかが厳しく問われます。かつて、中国で往来を行くと出会う10人のうち何人かは日本軍による暴虐によりなんらかの傷を負い障害を残していたり、近親に日本軍によって命を奪われた人がいたりすると言われた時代がありました。日本が頑なに中国敵視政策をとり続けていた1960年代のことです。日本による侵略の記憶は癒されることなく、深く、重く刻まれ続けている中国だったのです。中国の人々にとっては、辛酸をきわめた被侵略の歴史をどう乗り越えるのかという問題として「国交正常化」はあったと言うべきでしょう。政府指導者の政治決断によって乗り越えようとしたものは中国においてはあまりにも重く、深刻だったということを、いま一度思い起こす必要があります。あらためて過去の歴史と真摯に向き合わなければならない「50周年」を迎えていることを忘れてはならないのです。これが省察の第一です。 

  

「台湾」にかかわる原則の重さとは 

次に、国交正常化における台湾にかかわる原則についての省察が欠かせません。「台湾」は国交正常化にかかわる日中の交渉においてもっとも難しく、厳しい議論となったことは当時の関係者によって語られていますが、「台湾有事は日本有事」などという言葉が政治家の口から飛び出したり、「台湾は中国の不可分の一部」という中国の主張は「理解する」とは言ったが認めたわけではないなどと途方もない言説が横行したりする現在、国交正常化における台湾をめぐる原則とはどのようなものであったのかの復習は避けて通れない重大な課題となっています。  

197229日訪中した田中角栄総理大臣と大平正芳外務大臣、中国の周恩来国務院総理、姫鵬飛外交部長との間で署名された「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」の第2項で「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」とし、続く第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と明記しました。その「ポツダム宣言」の第八項では「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定していて、カイロ宣言では、台湾、澎湖諸島は「中華民国」(当時)に返還することが記されていました。 

中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府と認めるのであれば、カイロ宣言にいう当時の「中華民国」とは中華人民共和国が継承した中国であるわけですから、カイロ宣言の履行を謳っているポツダム宣言第八項に基づく立場とは、中華人民共和国への台湾の返還を認める立場を意味することになります。よって、中国の領土の不可分の一部である台湾への干渉、介入は一切許されない。この論理への認識がきわめて重要となるわけです。この認識を日中で共有したことではじめて国交正常化は成立したのです。これはいかなることがあっても忘れてはならない原則であることを、今こそ肝に銘じなければなりません。 

  

つくられた「台湾有事」の背後で進む変容 

なぜこの原則の再確認、復習が重要かと言えば、喧しく語られる「台湾有事」問題があるからです。 

ここで詳細に触れる紙幅の余裕がないのですが、経緯を冷静に見据えれば、一連の「台湾有事」論はまさしく「つくられた危機」論であることは明らかです。しかし、7月下旬に出た「防衛白書」では中国を「安全保障上の強い懸念」とするとともに、台湾に関する記述を昨年に比べて倍増し「台湾有事」を前提に「国際社会と連携しつつ、関連動向を一層の緊張感を持って注視していく」としました。また、対台湾窓口機関への防衛省職員の派遣や「台湾有事」を念頭に置いた統合司令部の創設検討という動きまで報じられる状況となっています。さらに今、日本の防衛予算の倍増がタイムテーブルに上り、「敵基地攻撃能力」の必要性が力説され、年末までをめどに外交・安全保障政策の根幹である「戦略3文書」(「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」)の改定が進められています。日米同盟が「対中国軍事同盟」への変容の色を濃くしながら、日本が米国とともに「中国抑止」正確に言えば「中国敵視」の道を一段と加速するという、日本にとって大きな歴史的「転換点」に差しかかっているということです。「台湾有事」論は、これらの動きのすべてを集約、象徴するものとしてあることを忘れてはならないのです。 

  

歴史を後戻りさせてはならない省察の秋 

魯迅に「『フェアプレイ』はまだ早い」という作品があります。書かれた時代背景を置いて少し荒っぽいもの言いですが、「相手がフェアプレイする保証がない状況ではフェアプレイなどしても意味がない」ということになると思います。幾多の困難をのりこえてたどり着いた日中国交正常化とは、日本と中国双方のまさに「小異を残して大同につく」という大義の共有によって、さらには、政治的信義があれば困難や懸念も乗り越えられるはずだという政治決断によって、「フェアプレイはまだ早い」という状況を変え、転換することで成し遂げられたと言っても過言ではないでしょう。であるならば、私たちは、何があっても「フェアプレイはまだ早い」というところに歴史を後戻りさせてはならないのです。ですから国交正常化に際して双方で確認した原則を守ることが何にもまして大事になるのです。 

国交正常化「50周年」と向き合うとは、現在の日本のありようを変えていく営みでもあることを知らなければなりません。そして、日本と中国が手を携えてアジアのみならず世界の平和構築に向けての道を模索、構想すべき時にわれわれは立っていることを共通認識にしなければならないと痛切に思うのです。 

これが「省察の秋(とき)」の重い意味だということを、読者のみなさんと共に胸に刻んでおきたいと考えます。 

 

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