「共同富裕」をめぐる謬論を糾す

2023-01-17 16:39:37

木村知義=文


福建省連江県東洛島の海産物をライブコマースする配信者。近年、インターネットを利用した実演販売などの新たなスタイルが中国の農村eコマースの主力となりつつあり、農村振興と「共同富裕」に新たな勢いをつけている(新華社)

  

「共同富裕」をめぐる謬論の氾濫 

なぜこんなにギャップが大きいのだろう?! 

「共同富裕」を巡る日本のメディア、識者の論評に関する感慨です。 

例えばこうです。「『共同富裕』を持ち出したのは、経済がうまくいっていないからだ。全て狙いは長期政権化だ」。これはテレビの報道ワイドショーでのある識者のコメントです。中国経済を専門とする研究者はといえば、「共同富裕はその言葉がもつ美しさとは裏腹に、言易行難で、リスクの高い政策」「一部の『目立つもの』をたたいて庶民層の怨嗟を和らげようとしているのが、『共同富裕』の名の下で提起されている一連の政策の本質」というのです。「目立つものを…」というのは巨大IT企業をはじめとする「寄付」を指していることはいうまでもありません。 

「謬論を糺す」などと言うと、年の初めから穏やかではありませんが、こういう論調が日本のメディアや中国経済の専門家を任ずる人々の中に根深くあることは直視しておかなければなりません。 

ただし、「謬論」にも一寸の「真実」?!はあるものです。「美しい」(取り組み)ということはまったくそうだ、「言うは易く、行うは難し」というのもその通りでしょう。中国はまさにそこに踏み込んだということです。 

  

中国社会主義の出発点で帰着点 

「中国式現代化は全人民の共同富裕を目指す現代化である。共同富裕は中国の特色ある社会主義の本質的な要請であり、長い歴史的過程である。われわれはあくまでも人民のより良い生活への願いの実現を現代化建設の出発点と帰着点とし、社会の公平正義の擁護と促進に力を入れ、全人民の共同富裕を全力で促し、格差の拡大を断固として防ぐ」 

これは昨年秋の中国共産党第20回全国代表大会(第20回党大会)における習近平総書記の「報告」の一節です。ここに全てが尽くされていると言ってもいいでしょう。 

1949年、中華人民共和国成立によって中国は人民民主主義による国内建設に踏み出しました。その後、土地改革の進展に立脚して、52年に毛沢東主席は10年から15年かけて社会主義への移行を目指すことを明らかにします。そして、53年末、「党中央の農業生産合作社の発展に関する決議」において「共同富裕」を明記します。「共同富裕」を掲げたこの時点から、初期的な段階の社会主義における矛盾をどう克服していくのか、社会主義を深化、発展させていくうえで根幹に関わる問題として向き合い、試行錯誤と曲折を重ねながら、現在まで歩みを進めてきたというわけです。「共同富裕」は中国革命の根幹をなす目標であり思想、哲学だということをまず知っておかなくてはなりません。この基本認識の欠落が「謬論」の氾濫を引き起こしているのです。 

  

「分配論」に踏み込む「共同富裕」 

貧しさを共有するのが社会主義ではないという問題意識に立って「先に豊かになれる者から豊かになろう」と鄧小平氏が主導した改革開放と市場経済を全力で駆けてきて、生産力を発展、成長させ「小康社会」の実現、つまり絶対的貧困の克服にたどり着きましたが、一方で、格差の拡大をはじめさまざまな社会矛盾も積み重なったのでした。それらの問題と向き合い、その解決に向かう、新たな社会主義を目指す段階に立ち至ったというわけです。つまり「ケーキを大きくする」ことに注力してきた「改革開放の40年」から、これからはその「ケーキ」を社会的にどう切り分けていくのかという「分配論」に踏み込むことになったのです。これは中国の「夢」でもあり、中国共産党の歴史的使命でもあるのです。その土台には、中国の歴史と伝統に深く根差す「分かち合いの発展理念」があります。 

6年前の第19回党大会のすぐ後、習近平氏は、「第19回党大会の報告の中で、私は数十年にわたる発展を経て、中国の特色ある社会主義は新時代に入ったと指摘した。中国社会の主要な矛盾は、人民の日ごとに増大する素晴らしい生活への需要と不均衡不十分な発展との間の矛盾へと変化している。これまでは、われわれは『あるかないか』の問題を解決するのであったが、現在では『良いかどうか』の問題を解決するのである」(『習近平 国政運営を語る』第3巻145頁)と語っています。その「第19回党大会報告」では、「中国の経済は、すでに高速成長の段階から質の高い発展を目指す段階へと切り替わっており、まさに発展方式の転換、経済構造の最適化、成長の原動力の転換攻略期にある」として、「供給側構造改革を主軸として」経済の革新力と競争力を高めていくことと同時に、「二つ目の百周年を節目とする奮闘目標」に向けての発展計画の第1段階の2020年から35年まで「15年奮闘して、社会主義現代化をほぼ実現する」その暁には、「人民の生活がより豊かになり、中所得者の割合が顕著に高まり、都市農村間および地域間の発展の格差や住民の生活水準の格差が著しく縮小し、基本公共サービスの均等化が基本的に実現し、全人民の共同富裕が確実なスタートを切っているであろう」としています。つまり「分配論」に踏み込むことを明確に示していたのです。 

それから5年後、昨年の第20回党大会の「報告」と照らし合わせて読むと、中国が「共同富裕」という命題にどう取り組もうとしているのか、その持続する志が実によく見えてきます。 

  

「壮大な実験」への眼差し 

もう一つ、「共同富裕」は、経済政策における「分配論」の領域を超えて、人間の価値観や思考、すなわち思想、哲学を深め、変革することを避けて通れない命題です。政策や制度改革にとどまらず、その土台となる人間の意識、思想の変革という大事業とならざるを得ません。まさに人間と社会の在り方の根幹に関わる前人未到の「壮大な実験」というべき長途なのです。 

「分配論」だけに限っても、理屈では考えられても、実際にはまだ実践されたことのない施策、政策もあるでしょう。試行錯誤の中から一つ一つ学びながら進めていかなければならない未知の世界と言えるのです。 

しかし、「隣人中国」が、人類史上まだ誰も成し遂げたことのないこんな「壮大な実験」の道に踏み出そうとしているのです。心から応援し、さらに、できることは共に手を携えて進もうという思いを、この年の初めに、皆さんとぜひ共有しておきたいと考えるのです。 

 

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