おもてなしよりおせっかい

2018-03-16 11:19:38

                                                                                             文・写真=須賀 努 

2020年の東京オリンピック、その開催地決定の折に話題になったのが「おもてなし」という言葉だった。日本には素晴らしいおもてなしがある、と言われているが、それはどこにあるのだろうか。例えば高級旅館や老舗料理屋の女将さんなら、そういうおもてなしが出来るのだろう。中国人の友人たちは「日本の旅館の素晴らしいところは、お客さんが見えなくなるまでお辞儀をしているところさ」と言っていたが、それは真のおもてなしだろうか。

そもそもおもてなしとは「相手の要望」することがある程度わかっており、それに対応する手段を持っている場合に、出来ることではないだろうか。最近外国人観光客が急増した日本で、日本人は外国人、それも多様な文化・慣習などの背景を持った人々に対応することは出来ているのだろうか。日本は日本流のおてもてなしをすればよいとの意見も聞くが、本当にそれで誇れるおもてなしは可能なのか。

おせっかいジャパンプロジェクト

実は2年程前に、大学生を中心とした「おせっかいジャパン」というプロジェクトに参加したことがある。この活動は、日本にやって来た外国人が困っているようであれば、こちらから積極的に多言語で声を掛け、その旅行の手助けをするというものだった。駅では沢山の外国人がスマホを片手に宿泊先ホテルの場所を探し、電車の切符の買い方が分からず困っており、その手助けをすると非常に感謝された。

そう今の日本に必要なのは「おもてなし」よりむしろ「おせっかい」ではないかと思ってしまう。お節介とは、頼まれてもいないのに、人のために何をすることであり、相手が望んでいない場合もあるので、かえって人から嫌がられることもある。昔の日本にはどこにでもいたお節介なおばさん。最近は他人の行動に口を挟まない風潮のある日本では、おせっかいな人が極端に減ってきている。

相手に対してやってあげたいという気持ちがあれば、それはその相手にも伝わるだろう。日本人は一般的にシャイな性格もあり、相手から助けを求められれば対応するが、自分からおせっかいするのはためらわれる。ましてや外国人となると、言語の問題もあり、積極的になれないのも分かる。更にサラリーマンなどは時間に追われており、相手をしている余裕すらないのが最近の実情ではなかろうか。以前タイ人に「日本語で道を聞いたのに逃げるように走り去られ、ショックだった」などという話も聞いており、おせっかいの必要性はますます高まっていると言えるのではないだろうか。

インドのタクシー 中国語で声を掛けられる

しかしこの路上でのおせっかい活動、日本だからこそできるとも思えなくはない。例えば外国の街で突然日本語で「なにかお困りですか?」と聞かれても、親切で聞いているとは俄かに思えない。実際筆者はインド、デリーの観光地で、何度も日本語で声を掛けられており、無視していると、今度は英語で話しかけてくる。最後は道を歩いていると「そこは危ない!」と日本語で叫ばれたこともある。何とか友達になり、観光ガイドか土産物売りで稼ごうとしているのだ。その言語能力の高さは目を見張るものがあるが、出来ればその能力は別のところで使ってほしいと思う。このようなおせっかい?は必要ない。

中国ならどうだろうか?北京や上海の街中でもし日本語で声を掛けられたとしたら、果たして素直に助けを求められるだろうか。実は何人かの中国の友人に聞いてみたが、残念ながら「出来るだけかかわらない方がよい」と言われてしまった。これまでも、お金を無心する人や騙すなどがおり、事件になっているともいう。

おせっかい相手と合同記念写真

おせっかいプロジェクトで外国人に声を掛けると、最初は警戒する人もいたが、大体の人は素直にその案内を受け、最後は笑顔で礼を言って去っていく。日本という国には現時点ではまだ信頼感がある、と言えるのかもしれない。これは是非継続していきたいところだ。

また中国人は、口をそろえて「日本でリラックスの出来る場所は大阪」という。それはたこ焼きなどを歩きながら食べてもおかしくない場所だからというのだ。東京はちょっと堅苦しいが、大阪は雰囲気がオープンでよい。そして人が親切だともいう。特に俗に「大阪のおばちゃん」と呼ばれる女性たちは、例え言葉が通じなくても、道を聞けば親切に教えてくれ、聞いてもいないのに、美味しいものや安い店の案内までしてくれると喜ぶ。

観光客で賑わう大阪の町

やはり旅は名所を見て、美味しいものを食べるだけではなく、意外な親切を受ける等の思い出、地元の人々との触れ合いも重要だと思う。そして訪日観光客向け政策も、爆買いなどの物品に頼るのではなく、人々の交流による真の満足を与えることに注力する必要があるあるのではないか。そのヒントは大阪にあるのかもしれない。

 

  

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