高山病研究に人生ささげ 青藏鉄道建設を医療支援

2021-12-29 15:32:54

 

実験データを比較して学生と話し合う呉天一氏

 

タジク(塔吉克)族のイスマイールサイラムさんは9歳の時に両親と共に新疆(現在の新疆ウイグル自治区)から南京に引っ越した。生活に不便がないよう、父親は彼に呉天一という簡単に書ける漢字の名前をつけた。

それから78年後、その名前は今年初めて授与式が行われた「七一勲章」の受賞者名簿に載った。この日、高所医学研究に60年以上打ち込み、高山病の予防と治療の国際基準を打ち出した低酸素生理学高所医学専門家が表彰台に上がった。凱旋後も87歳の呉氏はペースメーカーを装着しながら標高4500以上の高所で医学研究に取り組んでいる。

 

青海省西寧にある実験室で学生を指導する呉氏(右から2人目)

 

広い山をしらみつぶしに調査

1958年、呉氏はわずか23歳で妻と共に国家の呼び掛けに応じて青海省の建設に参加した。当時は全国各地から大勢の建設者が青海省にやって来た。呉氏は建設者たちに、個人差はあるが動悸、頭痛、息苦しさなどの高所反応があり、それが理由で亡くなる者もいることに気付いた。内科医として、呉氏は体の不調を起こした高所建設者を治療したいと切実に思った。

しかし当時の中国の医学研究にとって高山病は空白であり、呉氏は手探り状態で進むしかなかった。長きにわたる研究を経て、高山病は標高が高く、気温が低く、酸素濃度が薄い環境で起こる突発的な病気だが、具体的な発病原因や関連対策はさらなる研究が必要だと考えた。そしてこの研究に呉氏は、「私は生涯、高所医学研究だけに専念する」という言葉通り、一生をささげた。

7992年、呉氏は10年以上で10万人に及ぶ高山病大規模調査を展開し、青海省、チベット自治区、四川省、甘粛省などの標高が高い村の大半を訪れた。現地に着くたびに、標高が最も高い場所はどこだと尋ねた。呉氏にとって高所医学研究は高所、辺地、遠方の土地に行かなければならず、急性慢性高山病の分布と発病要素を正確に把握するためには一つの家庭、一人の住人の見落としもあってはならなかった。牧畜民は散らばって居住し、季節の移り変わりと共に遊牧して移動するので、数十探してもテント一つしか見つからないときもあった。だが呉氏は調査隊のメンバーにこう告げた。「罹患率と危険因子を正確に把握するには、母集団の調査研究時に一軒たりとも見逃してはならない。問題があるのがその一家かもしれないからだ」

呉氏とメンバーは、日中は馬に乗り、ヤクに計器を満載し、標高4000~5000の高原を駆け回り、夜はテントを張り、深夜にバターランプを灯してその日の行程と発見を記録した。

当時メンバーだった劉世民さんはこう振り返る。「放牧地に着いてから呉さんは人が変わったみたいに元気でした。牧畜民の高山病を治療しながら、データや資料を集めていました」。呉氏は放牧地の生活に特になじみ、バター茶やツァンパをよく口にし、乗馬も得意で、歩きづらい道ではいつも「私はタジクの馬乗りだ」と言いながら先頭を進んだ。

この間、呉氏は卓越した語学センスを見せた。「青海に来てしばらくすると、チベット語勉強クラスを開くという告知があり、今後使うかもしれないと思って申し込みました。数カ月間勉強してとても面白かったので、その後も独学で勉強しました」。チベット自治区の調査時、呉氏はチベット語でチベット族と自由にコミュニケーションが取れるようになっており、患者との心の距離を大いに縮めた。2014年、チベット自治区のメンパ(門巴)族集中居住地で高山病調査を行った時にはすぐにメンパ語を習得して交流した。現地ではメンパ族の医者が診療にやって来たといううわさが広まるまでになり、各地から人々が馬やロバに乗ってきて診察を求めるほどだった。

 

青海省玉樹チベット族自治州で地元の人々に高山病の予防法を教える呉氏。急性の高地肺水腫の患者に対しどのように救急治療をするかを医療関係者に指導した

 

高山病の国際基準つくる

1990年、高標高地に住む人々の生理学的なデータを取るため、呉氏は中日連合医学観測隊を組織して青海省にあるアムネマチン山を登った。途中、日本側の研究スタッフに高所反応がはっきりと出て、リタイアせざるを得なかった。呉氏は引き続き中国側のスタッフを率いて登り続け、標高5620の場所に高所実験室を設営し、1週間の科学観測を終わらせた。この調査は数々の成果を収め、呉氏の論文『高標高地における人間の生理学研究』は世界の高所医学界を揺るがし、国際高所医学協会は呉氏に「高所医学特別貢献賞」を授与した。

2001年、呉氏は中国工程院の院士に選出された。同年、青海省とチベット自治区間を結ぶ青藏鉄道が着工した。この鉄道は当時、世界最高の標高、最長の線路の高原鉄道で、年間十数万人の労働者が標高4000~5072のタングラ山脈で工事に携わった。高所冷気低酸素は鉄道建設労働者の健康に大きな脅威となった。

「このことを知り、自分の長年の研究成果がついに発揮される日が来たと思いました」

呉氏は青藏鉄道の医学顧問と高所生理研究グループ長を担当している間、45の酸素吸入所、38の高圧チャンバーの設置を指示し、高所工事における衛生保障措置と応急手当プランを打ち出した。呉氏は労働者の生活の隅々に目を光らせた。「大勢の労働者が夜中に尿意で起き、尿のせいで倒れるということを甘く見てはいけません。寝ている時は体が熱くても、トイレに駆け込んで風邪を引いたら高地肺水腫になる可能性があります。そこで、暖房が付いているトイレカーを用意し、夜に宿舎とくっつけるよう提案しました。労働者もトイレに行けるし、環境汚染も防げます」

青藏鉄道工事の5年間、14万人の労働者は「呉天一」の名前が明記された高山病予防治療手帳を持っていた。彼らにとって呉氏は「命の守り神」だった。

医療に従事して60年余り、呉氏は中国の高所医学を無から有へ、脆弱だった頃から強固な基礎を築き上げた。呉氏が創設した慢性高山病量的診断基準は国際高所医学協会に国際基準と定められ、「青海基準」と命名され、2005年から世界で統一使用された。これは初めて中国の地名を冠した国際診断基準でもある。

「もう年ですので、主な責務はチームを率いることと、若い後継者を育てることです」と87歳の呉氏は語る。この春、青海衛生職業技術学院に招かれて始業後最初の授業を担当した。呉氏は壇上から20代の学生たちの若々しい顔を見下ろしながら立ったまま講義し、こう締めくくった。「青海省とチベット自治区の人々は両手を広げてあなたを歓迎している。あなたの仕事はここにある」。1958年に医者の妻と青海に旅立った日から63年が経過した。青海省の西寧市で生活している娘と孫と共に、3世代4人は高所で医者として働いている。(高原=文  新華社=写真)

 

青海省高所医学研究所の高低圧酸素実験室の作動状況を確認する2013年当時の呉氏

 

青海省ゴロクチベット族自治州の瑪多県で地元のチベット族を無料で診療する呉氏

 

2001年に呉氏は院士に選出された。チベット族の友人ゴンラさんがはるばるお祝いに駆け付け、ハダを贈った

 

昨年、『呉天一の高所医学』が出版された。340万字の中に、呉氏の数十年間に及ぶ高所医学に関する研究成果と学術思想が凝縮されている

 

人民中国インターネット版 20219

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