中米ルーツの五輪スキーヤー 女性競技者増加のため模範に

2022-03-04 11:47:39

高原=文

2015年、北京と張家口が共に2022年第24回オリンピック冬季競技大会の開催都市に選ばれた。その発表日、北京のスキー場でスキーの練習をしていた米国籍の11歳の少女はそのニュースを聞き、誰にも内緒で将来の目標を立てた。北京冬季オリンピックに中国人選手として出場し、金メダルを獲得するという夢だ。

19年、その少女はSNSで、米国籍を離脱し中国籍を取得したことを発表した。

今年2月、その少女は北京冬季オリンピックで最も注目される中国人アスリートになるだろう。彼女の名前は谷愛凌。

 

性別による偏見を打破

谷愛凌選手は2003年に米国カリフォルニア州サンフランシスコ市に生まれた。父親は米国人、母親は北京出身の中国人だ。3歳の時、谷選手は北京大学スピードスケートチームの選手とスキーコーチだった母親に連れられ、スキー場に足を踏み入れた。コースに上がった途端、谷選手は気持ちをひときわ高ぶらせた。その頃、彼女の周りでスキーを習っていたのはほとんど男の子だった。「想像してみてください。スキー場にいるのは全員男の子で、女の子は私一人だけなんです」と谷選手は話す。転んだ時は、「女みたいな滑り方だな」と言われからかわれた。

11年に谷選手はスキー場で偶然、スキーコーチの目に留まった。コーチに天性の才能を見いだされた彼女は、専門のトレーニングチームに入って体系的に学ぶよう勧められた。そこで8歳だった谷選手はカリフォルニア州タホー湖エリアのプロスキーチームに入り、フリースタイルスキーを学び始めた。「母親は当時、フリースタイルスキーとは何なのかよく知らず、スピードスケートでなければ安全だ、ぐらいにしか思っていませんでした」と谷選手は振り返る。しかしフリースタイルスキーはスピードスケートほどの速さは出ないが、危険度は高い。「初めてバックフリップ(後方宙返り)をする時、私とコーチは母に何も言いませんでした。終わってから母に動画だけを送り、それに関するメッセージは何も書きませんでした。すると母から、スマイルマークやサムズアップ、ハートマーク、ビックリマークなどの表情スタンプが立て続けに送られてきました。本当に驚いたんだと思います」

初めてコースに足を踏み入れた時からプロアスリートになるまで、谷選手は周囲から疑いの眼差しを向けられていた。女の子はフリースタイルスキーに向いていないと思われていたからだ。フリースタイルスキーなどのスポーツは男性より女性の方が危険を伴い、けがをしやすいとメディアが報道することもあった。しかし谷選手に言わせれば、それはこのスポーツを学ぶ女性の数がまだ少ないだけで、誰かが人々の固定観念や偏見を打ち破り続けなければならなかった。「(プレーヤーの)人数が一番重要です。テレビに自分と同じことをやっている人が映っていなければ、無理そうだなと思われてしまいます。こうなると、進んで学んだり参加したりするよう自分のやる気を奮い立たせるのがとても難しくなります」

 

谷選手は北京冬季オリンピックのオフィシャルパートナーであるスポーツブランドANTAと契約し、イメージキャラクターになった。彼女の広告は上海で一番にぎわう南京路の歩行者天国に現れた(東方IC)

 

3種目とも優秀な成績

アスリートとして谷選手の成績は極めて優秀だった。9歳で全米スキージュニアの部で優勝、13歳で一般の部で優勝、15歳で国際スキー連盟の総合ポイントランキングでトップになった。昨年末、コロラド州のスティームボートで開かれたフリースタイルスキー・ビッグエアのワールドカップで、谷選手は「ダブルコーク1440」(横に4回転、斜めに2回転する技)を成功させて優勝した。彼女はこれによって、女子選手の中でこの高難易度の技を世界で初めて成功させた選手となった。しかし実際、彼女はフリースタイルスキーのスロープスタイルやハーフパイプでより競争力を持っていた。

昨年3月のフリースタイルスキー・スノーボード世界選手権で、谷選手は金2銅1のメダルを獲得し、人々に鮮烈な印象を与えた。同年12月に米国コロラド州コッパーマウンテンで開かれたデューツアーで、彼女は連戦を勝ち抜ける実力を再び発揮し、24時間以内で金銀銅メダル各1枚を獲得。そのうちハーフパイプ決勝からスロープスタイル決勝までの空き時間はたった3時間だった。

女子スキー選手でこの3種目に同時出場できる選手はこれまでほとんどおらず、これはアスリートの体力と精神力への要求が極めて高いからだ。しかし試合の過密スケジュールは谷選手にとって苦ではなかった。「私は昔から試合があればそこに駆け付ける人間ですので、こういうペースにはとっくに慣れっこです」。彼女が休憩時間にするリラックス方法は、「休憩室で食べ物を少し食べ、母親にハグし、友達とおしゃべりをしてまた競技場に戻るのです」。

谷選手にとって2種目連続のメダル獲得は励みであり原動力になる。「一番の目標は自分を超え、このスポーツを普及させることなので、優勝はとてもうれしいです。これはとてもやりごたえのある勝負で、みんなも素晴らしい演技を見せます。私もその中の一人になれて本当に光栄です。自分がもっと成長でき、次はより良い成績を出せると信じています」

 

コッパーマウンテンで開かれた2021/22 FISフリースタイルスキーワールドカップシーズンの試合前に体を動かす谷選手(東方IC)

 

第二の故郷・北京で活躍

米国のスキー界で天才少女・谷愛凌にはたくさんのファンがいたが、彼女は米国籍をためらわず捨て、中国代表としてオリンピックに出場する。19年に15歳の谷選手は微博(中国の代表的なSNS)でこう宣言した。「中国のフリースタイルスキー選手谷愛凌参上!」

谷選手は2歳から毎年夏に母親と一緒に北京で休暇を過ごし、中国に対する思いはとても強かった。西洋人のような顔を持つ彼女は中国に帰るたびに「西洋人形」と言われ、そのたびに「私は『西洋人形』ではなくて、胡同(横町)で育った『北京っ子』」ときちんと答えた。「2022年冬季オリンピックが中国で開催されると発表された時、私は北京にいました。その時に、中国代表として出場したいと思ったのです。母が生まれた場所で冬季オリンピックに出るなんて、一生に一度の貴重な機会です。私の愛してやまないスポーツの普及にもつながりますし、よりたくさんの若者を元気付けられます」

米国で次世代を担うフリースタイルスキー選手の中には、実力がある女子選手の多くがすでに人々の憧れの存在となっている。しかし中国でこのスポーツはまだ大きな発展を始めたばかりであり、代表的な選手が足りないことを谷選手ははっきり認識していた。そのため、彼女は中国で手本となり業界を盛り上げる役割を担えたのだ。

谷選手は特殊な立場と立派な成績によって、幼い頃から自身のアイデンティティーのバランスの保ち方を理解していた。「自身の中国のルーツに誇りを持っているとともに、米国で成長した経験にも誇りを持っていると私は常に主張しています」。自分が中米両大国間で友情を伝え、交流を深める懸け橋的役割を果たせればと彼女は思っている。「エクストリームスポーツを追求することで中米両国民の交流、理解と友情を深めたいです。フリースタイルスキーを普及し、青少年、特に女の子がスポーツに熱中できるよう頑張っていきたいです」

 

大会中に他国の選手と交流する谷選手(右)(新華社)

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