初夏の夜の夢

2026-05-26 10:57:00

作者:遠藤英湖(翻訳者、自由作家)

写真提供:(c)LFJ2025


湖面に映る山のような杭州フィルハーモニー管弦楽団

「音楽はどんなにたいへんな時代でも、なんとか私たちを力づけようと、繰り返し繰り返し励ましの言葉をかけてくれる。深い根底から発した音楽であればなおさらである」※1とは20世紀最高峰のヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインの言葉である。


昨年、訪問中の「河南農業大学」で作った団扇を手にする作者(左)(撮影:張雨晴)

「時代」だけでなく、個人の大変な「時」にも励ましてくれる音楽の力を身をもって体験した。それは昨年5月のこと。私は河南省人民対外友好協会の招聘による「2025日本青少年河南省訪問団」東京グループの事務局長として、日本の学生さんたちを中国・河南省に引率する準備の真っただ中にいた。WeChatでの連絡網の整備や、上海に着いてからどうやって2 時間で36 名の国内線乗り継ぎを成功させるか等。初めての経験に不安とプレッシャーで押しつぶされそうになっていた私は音楽に救いを求め、ゴールデンウィークの風物詩となっているクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」※2へと向かった。


ステージでは多彩な表現が展開されていた


新しい芸術の試み

まさに「熱狂の日」の名そのもの。「Mémoires(メモワール) ――音楽の時空旅行」をテーマにした、一流の演奏を気軽に楽しめる音の祭典に大勢の人々が集っていた。新しい音楽の試みに耳を傾ける聴衆、初めて見る楽器に目を輝かせる子どもたち、喜々として音楽グッズやCDを手に取る人々…。サイン会では新鋭アーティストとファンの間で温かいコミュニケーションも生まれていた。


演奏家が「ハープの額縁」の肖像画にも見える


楽器に興味津々の来場者


ガラス棟の開放的な空間にも大勢の音楽ファンが集まる

ふと目に留まったのは、サックス四重奏に聴衆も加わり、100人でラヴェルの「ボレロ」を吹くという珍しいプログラム。同じ旋律とリズムを繰り返しながら徐々に音量を上げ、巨大なクライマックスで大爆発して終わる「ボレロ」。正確に時を刻むようなこの曲を聴いているうち、心の中でずれていたパズルの一片がピタリとはまるような不思議な感覚を覚え、パニックも収まった。


特設ステージでの聴衆参加型コンサート

次の公演で、楽器ケースを大事そうに抱えながら隣に座ったSさんと知り合った。ステージでの感動を分かち合い、そのまま外で語らうことに。その日全ての公演が終わった夜の東京国際フォーラムには、まだ一日の熱気が残っていた。5月の風が木の葉を揺らし、緑の香りを運んでくる。キッチンカーの屋台村はライトで照らされ、夜の遊園地の看板のよう。音楽、仕事、人生観。ペットボトルのお茶1本分の時間――しかし、とても豊かな時が流れた。


ジャズの即興性は人々を魅了する

翌日からSさんおすすめのジャズの公演を聴くことに。ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」に北京留学中の自分を重ね、様々なアレンジの「ラプソディ・イン・ブルー」に心ふるえる。ダイナミックな船出を彷彿させるビッグ・バンド、薫り高く奏でられる詩的なソロのピアノ、躍動する生命が響き合うデュオ。玉虫色の音色が伸びやかに絡み合い、天空に飛翔する――敦煌莫高窟に描かれた「飛天」が脳裡に浮かんだ。


躍動する生命の対話

こわばっていた心に灯火がともり、不安も恐れも吹き飛んだ。生命の奥底から困難に挑む自信と勇気が湧き上がった私は、音楽の底知れぬ力に包まれ、中国へ。大学交流等で日中の若者の楽しい思い出を作るお手伝いをしながら、自身も素晴らしい経験やかけがえのない出会いを重ねることができた。「日中両国の人々の心を繋ぐ」使命に生き抜く人生を再度誓った。世界は混沌として両国の未来も不透明だが、夜明けを信じ、自分の決めた道を真っ直ぐ歩み続けるつもりだ。


共鳴する生命

ジャズから得たエネルギーが次第に満ちていき、最後の公演で私の心は一気にあふれ出した。その高まりはまさに「ボレロ」だった。「静かに、迷いなく、自身の時を刻め。自分らしく、一歩一歩、前へ進め。あなたなら大丈夫、絶対やり遂げられる。険しい高山も少しずつ登って頂上を目指せばいい。ある日突然視界がパッと広がり、最高の人生が開かれる。人生は最後に勝てばよい。」これが生命で読み取った音楽からの励ましのメッセージだ。


舞台の後方から捉えた公演


光と音の間に生命のリズムが響く

「芸術は作り手と受け手がいて成り立つ」との考え方がある。作曲家や演奏家に呼応した聴衆が生命で音楽を受け止め、その意味を解釈し終えた時に作品が完成するとするなら、私にとって昨年の「熱狂の日」はたった今完成し、千秋楽を迎えたばかりである。


会場の心が一つに

人と人、人と音楽、音楽と音楽が出会うラ・フォル・ジュルネ。「クラシック音楽を万人のものに」を理念とする「音の交差路」では、様々な出会い、発見、物語が生まれていた。初夏の大都会に出現するこの「オアシス」は一人一人の人生に寄り添い、心潤し、勇気と希望を与え続けてきたに違いない。あの3日間を私は生涯忘れないだろう。


熱気あふれるステージ

宝物になったペットボトルをそっと手に取る。その中では、アラジンの魔法のランプに吸い込まれたかのように、音楽という「美酒」に酔いしれた人々の高揚した笑顔が輝いていた。


地上広場での聴衆参加型コンサート

――懐かしいリズムがどこからともなく響いてくる。今日も価値ある創造的な一日を綴っていこう。次の「熱狂の日」を心待ちにしながら。

 

※1 別宮貞徳監訳『人間と音楽』日本放送出版協会刊

※2 ラ・フォル・ジュルネ:La Folle Journée(熱狂の日)

1995年フランスの港町ナントで生まれたクラシック音楽祭。2005年に日本初上陸以来、世界最大級のクラシック音楽祭に成長し、初開催以来、延べ923万3千人が訪れている。

(本作品は今年4月に寄稿されたものです。)

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