天安門広場で耳にした平和へのメッセージ

2025-09-04 19:50:00

上海交通大学人文学院副研究員石田隆至= 

光栄にも、習近平主席の談話を天安門広場で直接耳にする機会を得られた。中国の人々に深い自信と希望を与えるメッセージであったことが、周囲の参列者の雰囲気からはっきりと伝わってきた。 

反ファシズム戦争勝利の80周年を祝う式典であるが、談話の内容はむしろ現在の課題に焦点が当てられていた。世界各地で相次ぐ侵略や虐殺、制裁などの大規模暴力は、80年前に克服したはずではなかったのかという切実な問題意識が込められている。グローバル化したいま、それらの悲劇は中国だけでなく世界の誰もが無関係ではいられない。だからこそ、世界的な反ファシズム統一戦線によって勝利を収めた過去が参照されたのだろう。再び暴力の時代に戻る危機を予感させる現在にあって、どこまでも平和の側に立ち続けることを宣言し、参加国や参加者とともに呼びかけたのが談話の趣旨であると感じた。 

残念ながら日本では、式典をめぐって、軍事力を誇示するためのパレードであるとか、反西側勢力の「結束」のための場であるといった捉え方が一般的である。日本政府は、式典に出席しないよう関係各国に働きかけたとまで公言した。そうした冷戦時代の思考、「反日」かどうかといった国家単位の発想では、談話や式典の有する世界史的意義を理解することはできないだろう。私自身も当初は一人の日本人としてこの式典にどう向き合うのか考えていた。しかし、「正義」「平和」「人民民主」といった真に普遍的な次元から受け止める必要があると明確に意識するようになった。 

アメリカや日本のように軍事力にすがり、抑止論を振りかざす諸国を前にして、談話はまったく別の平和へのアプローチを提起している。歴史の「警告」として見出された「戦争の根源」は、「共通の安全」つまり信頼関係の欠如にある。信頼は、「平等」「調和」「助け合い」によって生まれ、人類の運命が一体になると指摘されている。誰もが今すぐにでも実践できる友好と協力こそ、平和を生み出す現実的な方法だと提唱しているのである。「力」を盲信し、他国を犠牲にするのを正当化する「強国」があるなかで、強い確信がなければこれほど平和的な安全保障への道筋を代替策として呼びかけることはできないだろう。 

対等な関係で助け合い、支え合うことで、「力」によって犯されることのない主体性や自立性を確保し、拡げ、堅持すること――8年連続で国連総会決議に盛り込まれた人類運命共同体の構築こそ最高の安全保障になるという呼びかけを、世界の人民とともに実践していきたい。 

人民中国インターネット版

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