敗戦80年、日本はいかなる道を選ぶのか?

2025-09-16 10:04:00

文=国際問題評論家 周信 

今年は世界反ファシズム戦争勝利80周年に当たり、中国、米国、ロシア、英国など世界中の多くの国々が記念イベントを開催し、烈士を偲び、平和を大切にすることを呼びかけている。メディア報道によると、この厳粛な時期に、侵略戦争の発動者および敗戦国の日本が外交ルートを通じ、中国の記念大会への関係国の参加に水を差し、「中国の軍事パレードは反日的な色彩が濃、各国は慎重に検討するよう」呼びかけた。これに対し、日本政府の高官は記者会見で「どの国とどのような外交交渉を行ったかについては答えられない」として質問に正面から答えず、「戦後、日本は一貫して『平和国家』の道を歩んできた」と強調するにとどまった 

しかし、報道が事実であれば、日本政府の暗躍は自らが主張する「平和国家」の道から完全に逸脱していると言わざるを得ないまた、日本度重ねて軍事拡張を進め、歴史修正主義的言説を広めていることは、歴史的犯罪に対する反省全くないことを改めて示した。戦後80年を迎えた今、日本は再び岐路に立たされており、われわれは日本がいかなる選択を下し、どこへ向おうとしているのかを問わざるを得ない 

なし崩しにされ続ける「平和憲法」 

第二次世界大戦終結後、日本は米国の主導の下、1947年に日本国憲法を施行した。その第九条は「国権の発動たる戦争と、威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明しており、この条項は日本が掲げる「平和国家」論の法的根拠となった。しかし根本的に見れば、この転換は完全に自発的なものではなく、敗戦後の受動的な選択にすぎな 

国際情勢の変化に伴い、米国は日本を「インド太平洋戦略」推進や地域事務への介入における「政治的駒」と位置づけるようになり、これは日本が長年求めてきたいわゆる「国家正常化という目標と合致した。米国の容認の下、日本は軍事拡張を加速させた2014年、日本政府が可決した「防衛装備移転三原則」は従来の「武器輸出三原則」に取って代わり、武器の海外輸出の扉を開いた。15年、安倍内閣は集団的自衛権行使に関連する一連の安保法案を可決し、憲法第九条の解釈を変えて「集団的自衛権」の行使を容認し、「平和憲法」を事実上形骸化させた。これにより、日本はさまざまな名目で自衛隊を海外に派遣し、「積極的平和主義の名の下、地域および国際的諸事項に関与するようになった。24年、日米は「日米安全保障条約」に関し、「60年余りで最大規模の見直し」を発表し、日米関係を「米国が主導し、日本が従う」同盟関係から「攻守両立」の軍事同盟へと格上げし、自衛隊の位置づけも米軍への後方支援を担う補助的ものから、より攻撃的なものへと転じつつある 

日本政府はさらに「積極的平和主義」をカモフラージュとし「平和的貢献」という言葉で軍事拡張を覆い隠そうとし、「専守防衛」の誓いを完全に忘れている。近年、日本は米国、オーストラリア、カナダ、フィリピン、インドなどとアジア太平洋地域で軍事演習を頻繁に実施し、ベトナム、フィリピン、ウクライナなどに武器や装備を輸出し、再び地域軍事大国になろうとする野望をあからさまに示している。日本財務省が公表した来年度予算の概算要求のうち、防衛予算の概算要求額は8兆8500億円に達し、過去最高を更新した。さらに、日本政府は27年までに防衛予算の国内総生産(GDP)比を2%に引き上げる計画を掲げる。中国国防部報道官は記者会見の中で、「日本が軍事拡張を加速させ、『専守防衛』に必要な範囲をはるかに超える軍事力、さらには攻撃的な武器や装備を発展させているのは、一体何を意図しているのか」と問いただした。また、『東京新聞』は社説の中で、戦後80年を迎えた今、政府は軍拡によって破局に至ったあの大戦の教訓を忘れたのかと批判した。 

誤った歴史論説の横行 

日本国内には侵略行為を否定、さらには美化し、史実の改ざんと併せて戦犯の名誉回復を図ろうとする勢力が根強21年、日本政府は閣議決定を通じて、「従軍慰安婦」などの表現を「不適切な教科書用語」と認定し、関連教材からの削除を求めた。今日に至るまで、日本政府は「慰安婦」被害者への賠償を拒否し続けている。現在、日本の中学校で採択率が最も高い2社の出版社(合計採択率は約80%)が編集した教材では、戦争における加害責任の記述が回避・隠蔽を極めている。南京大虐殺に言及する際には「南京事件」と表現し、加害者の身元を明記せず、さらには「犠牲者の数については確定しておらず、依然として検証中である」と書いている。ある日本の歴史教育者は「以前の教材では『日本は中国を侵略した』と明記されていたが、現在では『満州事変』や『日中戦争』などに置き換えられ、戦争の本質曖昧にしている」と指摘している。 

今年は第二次世界大戦終結80周年であり、日本は本来ならば戦争の罪を反省し、平和の道を堅持すべきであった。しかし、現実には、8月15日の日本降伏日に多数の国会議員や現職閣僚がA級戦犯を祀る靖国神社を参拝し1995年以来、日本の首相が10年ごとに戦後談話を発表する慣例も今年途絶えた。国内の保守勢力の反対により、石破茂首相は日本が降伏した日である8月15日に戦後80年談話を発表できず、個人の見解を述べることさえも度重なる妨害に直面した。日本の侵略の歴史を否定する極右政党の参政党が参議院選挙で議席を伸ばし一部の歴史学者と称する者たちは公然と9月2日を「アジア解放記念日」と呼び、「日本が戦争を起こしたのはアジアを解放するためだった」との妄言を広め、「日本は自虐史観を止めるべきだ」と主張している。戦後80年経った今もなお、これらの誤った言動が繰り返され、誤った論説が日本国内で横行している事実は、驚愕すべきことであると同時に、日本社会が軍国主義の歴史を都合よく忘れ、体系的に粉飾していることを露呈している。これは戦後国際秩序への挑戦であり、人類の良心への挑戦であり、ひいては平和を愛する全ての人々への挑戦である。 

「歴史を忘れることは裏切りを意味する」。歴史に誠実に向き合い、過ちを深く反省する勇気すらないのであれば、平和な未来を迎えることもありえないのではないか。日本の人々は中国人民と同じように、二度と戦争を望まない確信している。日本国内でより多くの平和的で理性的な声が高まり、さらには日本政府が「平和国家」の道を歩むという約束を実行に移し、アジアの隣国や国際社会から信頼を得ることを願っている。 

人民中国インターネット版

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