制度疲労世界に新風 ——「グローバル・ガバナンス・イニシアチブ」
拓殖大学教授 富坂聡=文
先ごろ出版された『習近平 国政運営を語る』第5巻を読んで感じるのは、人類が発展を享受し続けるために不可欠な平和を如何に維持するのか、中国の指導者が真剣に発信し続けてきたことだ。
その結実が2025年9月、天津で行われた「上海協力機構プラス」会議で発出された「グローバル・ガバナンス・イニシアチブ」である。そして、そのキーワードは二つ。一つは「排除から包容」への世界の価値観の転換であり、もう一つが弱者のためのルールの確立だ。
国家の上に権威を持たない世界にとって、国家間のトラブルをいかに制御するのかは、常に解きがたい悩みである。
人間が生きる上での喜びは発展であり、最大の人権侵害は戦争である。つまり戦争をいかに防ぐのかは、世界にとって最も重大な課題の一つである。
現状、国際社会が直面しているのは、慣れ親しんだ一つの秩序の制度疲労であり、機能不全に陥りかけた紛争解決メカニズムである。
かつて満州事変(九一八事変)とエチオピア論争が国際連盟の崩壊の引き金を引いたように、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル軍によるパレスチナ・ガザでの民間人を巻き込んだ戦闘は、戦後秩序の限界を国際社会に突き付け、国際連合の権威もさらに大きく傷つけた。
一方、経済に目を向ければ世界は「負」の分配に喘いでいる。人口減少の逆風の中、先進国経済は低成長に苦しみ、社会保障の資金不足に不安を覚えた国民は政治に対する不信感を強めている。
各国で持ち上がる右傾化の流れは、排外主義を帯び、対外政策にも厳しさを求めている。
戦後、国際秩序の中心にあったアメリカでも、この傾向は顕著である。
すでにオバマ大統領の時代に「世界の警察」の旗を降ろしたアメリカだが、いまトランプ政権の下で「一国主義」に走り、国際秩序の一翼を担う役割も放棄し始めている。
中国の習近平国家主席が、「グローバル・ガバナンス・イニシアチブ」を打ち出したのは、こうした情勢下のことだ。世界秩序の再構築で役割を果たそうとする中国の姿勢は、大国としての責任感だ。
背景には「100年に一度の変局」という時代認識がある。
発想の原点はいくつか確認されるが、例えば2014年11月の「中国は自らの特色ある大国外交を持つ必要がある」の演説では、〈今日の世界は変革の世界である〉との言葉が見つかる。また講演、「新たな発展理念に対する理解を深めよう」で、〈西側諸国主導のグローバルガバナンスシステムには変革の兆候が現れているが、グローバルガバナンスと国際ルールの策定の主導権争いは非常に激烈〉と言及されたこともある。
一方、いずれのケースも現行のグローバルガバナンスに対する一定の信頼を示すような表現をともなっていた。
戦後西側先進国が主導したグローバルガバナンスの限界がはっきりと露呈するのは、第一次トランプ政権のスタートと新型コロナウイルス感染症による混乱の後である。
繰り返しになるが習主席の提唱した「グローバル・ガバナンス・イニシアチブ」は制度疲労を起こした世界に一つの新たな視点を提供している。それは第二次世界大戦後に生まれたグローバルガバナンスは、先進国など勝者だけが主導するものだけではないという視点だ。
戦後の世界は東西の陣営に分かれ大国の覇権争いが激化した。これが国連の権威を大きく棄損したことはよく知られている。ソビエト連邦が解体された後のポスト冷戦時代になり超大国・アメリカ一極による秩序のけん引が定着した。
戦後間もない時代の新秩序は反ファシズムの旗印の下で生まれた民主主義が担うことになった。その一方で「戦後」という新たな時代に即した価値観がそこで重視されることはなかった。相変わらず大国という勝者の担うグローバルガバナンスだったからだ。
これに対して小国、発展途上の国々のための秩序を打ち出したのがバンドン会議だ。中国の指導者が提唱した平和共存五原則を基に生まれたバンドン会議は、現在の世界に最も欠けていて、かつ時代の要請にもかなう国家間の民主化を打ち出した。
先述したように西側先進国経済は停滞し発展の中心はいまやアジアやグローバルサウスへと向かっている。
習主席が提唱した「グローバル・ガバナンス・イニシアチブ」は、その中心理念に「主権の平等」が掲げられている。強者が押し付けるルールではない新しい価値観である。
この新たな価値観を中国のリーダーが提唱する意味は大きい。というのも中国は被侵略国であり、発展途上国であり、同時に世界第二の経済大国だからだ。
『習近平 国政運営を語る』第5巻には、(平和共存五原則から)〈七十年後の現在、「どのような世界を構築していくのか、いかにしてこの世界を構築していくのか」という重要な課題を前にして、中国はさらに人類運命共同体の構築という時代の答えを出した〉(「人類運命共同体の理念は平和共存五原則の最も優れた継承、発揚、昇華である」2024年6月28日)とのくだりが見つかる。
前述した通り世界がやり残した問題は弱者の権利の確立であり、同じ課題は新中国がその成立以来、国内で取り組んできた課題でもある。つまり世界の秩序に新しい価値観を吹き込む事業は、中国の国内での取り組みの経験を生かせると同時に、伝統的な「民為邦本」「為政以徳」といった文化的遺産とも共鳴する。『習近平 国政運営を語る』第5巻の「『二つの結合(マルクス主義の基本原理を中国の具体的な実情と結びつけること、中華民族の優れた伝統文化と結びつけること) 』の重要な意義を深く理解しよう」(2023年6月2日)の中では、マルクス主義と伝統的に根付いた価値観の近似性が指摘される。
東洋の理学と新中国の経験は、現状の制度疲労と戦後国際社会の民主化にどう響くのか。制度疲労に苦しむ世界の注目が集まる。
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