白銀の神山が見守る秘境 伝統の技継ぐ職人の情熱

2025-07-28 10:57:00

面積14万9700平方のカンゼ(甘孜)チベット(蔵)族自治州は、四川省で最大、最西端、そして最も標高の高い地級行政区だ。空から見渡すと、カンゼの地理的特性がいかに特異であるかが一目瞭然となる。背後には低く沈んだ四川盆地が広がり、そこから高くそびえるチベット(青蔵)高原の奥地へと連なっているのである。 

この「俗世」から「雪域高原」へと至る階段状の大地には、大自然の驚異と人々の勤勉と知恵が交錯し、壮麗な絵巻が織り上げられてきた。連なる雪山、鏡のような湖、深く刻まれた峡谷――至る所に息をのむような風景が広がっている。細密な筆致で描かれるタンカ(唐)、金属を打つ音が響く鍛造の技、長い袖がひらめくゴルシェ(鍋荘舞)。それらが、チベット文化の奥深さと躍動感を雄弁に物語っている。 

山河が織りなす立体絵巻 

中国南西部を縦横に走る大小の山々は、東西に並び、南北に連なることで、かの有名な横断山脈地帯を形成している。カンゼチベット族自治州は、その核心部に位置している。 

雪山の麓でサボテンを食す 

カンゼの大地はまさに横断山脈地帯の縮図といえる。金沙江、沙魯里山脈、亜龍江、大雪山山脈、そして大渡河が西から東へと順に並び、カンゼの地勢的骨格を形作っている。この地には、見る者を圧倒する数多くの地質的奇観が集中している。例えば、横断山脈地帯でも最多の雪山、最長かつ最も広大な山脈、落差が最大で、浸食が最も深い河川、そして密集度の高い峡谷群などである。 

 

数百万年にわたり、この地は何度も大規模な氷河に覆われてきた。地形の変遷を経て、現在では氷河はすでに消失したが、その侵食作用によって、カンゼの地には2000を超える氷河湖が残されている。春から夏にかけて、雪解けとともに水が満ちると、これらの湖はまるで山間に点在する澄みきったサファイアのように輝き、空を流れる白雲やそびえる峰々を静かに映し出すのである。 

これらの湖の大部分は河川によって相互に連結されており、その途中で氷河の融水や大気中の降水を集めながら流れ下る。そしてその奔流は、幾重にも重なる山々の間を削り、数多くの深い谷を形作ってきた。こうした河谷には、また全く異なる景観が広がっている。 

カンゼ州南東部に位置する瀘定県のサボテン産業園に足を運ぶと、太陽の下、赤や黄色の花々が山肌を覆い、まるでじゅうたんのような花の海を作り出している。園内を歩けば、満開のサボテンが非常に背高く育っていることに気付く。ほとんどの株が成人の背丈を超えているのである。 

このサボテンは「梨果サボテン(ウチワサボテン)」と呼ばれ、毎年5~6月に花期を迎える。高山を越えて流れ込む気流がこの地で下降して温度を上げることにより、乾燥かつ温暖な気候が生まれ、いわゆる「乾熱河谷」となる。そのおかげで、南米の熱帯亜熱帯地域を原産とするこの植物がここで根を張り、この地ならではの果実を実らせることができるのである。 

梨果サボテンの実は、その名の通り梨に似た外見をしており、表面にはびっしりと細かいとげが生えている。厚手の手袋をして皮をむくと、中からは水をたたえたような、きらめく緑色の果肉が現れる。その味はキウイよりも甘みが強く、爽やかだ。雪山を仰ぎ見ながらサボテンの実を味わう体験は、まさにカンゼならではの特別なものだろう。 

近年、瀘定県はサボテン産業を農村振興戦略の一環として位置付け、ブランド化によって地元農家の収入増加を図ってきた。さらに、サボテンジュースや、果肉を練り込んだ麺類、ジャムといった加工品の開発も進められ、その付加価値は着実に高まっている。 

「神秘の浄土」を探しに 

「ある美しい場所がある。そこは神々が住むと伝えられる地。その名はシャンバラ(注:チベット語で「極楽園」を意味する、仏教における秘境のこと)。そこは私たちの故郷……」。チベット族のガイドの澄んだ歌声に耳を傾けながら、観光バスは標高を上げつつ、曲がりくねった山道を進んでいく。眼前には山々と深い森が次々と姿を変えて現れる。 

ふいにカーブを曲がると、突然、威厳に満ちた一座の雪山が目前に現れる。まるで手が届きそうなほどの近さに、人々は息をのみ、カメラを取り出しては「カシャ、カシャ」とシャッターを切る。「あれがシアンレリ(仙乃日)神山です。もうすぐ稲城亜丁(ダオチェンヤーディン)に到着しますよ」とガイドが告げる。 

「亜丁」はチベット語で「陽の当たる場所」という意味を持つ。稲城亜丁風景エリアはカンゼ州南東部の稲城県に位置し、面積は3244平方、標高は2800から6033まで及び、国家級自然保護区に指定されている。この地の中心をなすのは、シアンレリヤンマイヨン(央邁勇)シャルオドジェ(夏諾多吉)という3座の神山と、それを囲む河川湖沼高山草原である。雪域高原の美しさを象徴する要素が、まさにここに凝縮されている。ここでは、雪山、清らかな渓流、古寺などの景観に加え、太陽の光が特定の角度で雪山を照らすことで銀白の峰が金色に染まる「日照金山」の壮麗な光景を目にすることもできる。 

1928年、米国の植物学者であり探検家でもあったジョセフロックは、稻城亜丁を訪れ、雪山の麓にある冲古寺にしばらく滞在した。帰国後、彼は米国の『ナショナルジオグラフィック』誌に探訪記を寄稿し、撮影した写真を掲載したことで、亜丁を世界に初めて紹介した。これにより、この地は世界中の探検家や旅行者が憧れる場所となった。 

初夏の稻城亜丁では、手前の木々がすでに競うように新緑を芽吹かせている一方で、山々はまだ白い装いを残している。山頂に立ち昇る雲霧、銀世界のような斜面、そして生い茂る森林が交錯し、まるで夢のような幻想的な風景が広がっている。 

山々の間に広がる草原は、まるで巨大な緑のじゅうたんのようであり、その上には黒いヤクたちが星のように点在している。小川は何本ものリボンのように曲がりくねって流れ、空を仰げば、チベット族の人々にとって神聖な「神山」とされるシアンレリヤンマイヨンシャルオドジェの3座の山が、「品」の字を成すようにそびえ立ち、この浄土を静かに守っている。 

シアンレリ山の麓にある亜丁村は、中国の伝統的村落リストにも登録された古村落であり、その歴史は1000年以上前にさかのぼることができる。しかし、過去には保護意識が乏しいまま観光開発が進められたため、これらのチベット様式の民家は一時、かつての自然な風貌を失っていた。 

2022年、四川省は亜丁村の救済的保護修復プロジェクトを始動した。亜丁らしさを色濃く残す「黒チベット家屋(黒蔵房)」について、政府は「古きを修理するなら古きに倣え」の理念の下、「最小限の介入で、最大限に伝統的な姿を復元する」ことを原則として、村内の民家建築の修復を進めた。また、「擬自然」の方針に基づき、傾斜や日照条件の異なる山腹に、それぞれに適した植物や低木を植えることで、エコロジカルな修復も行われた。 

現在、亜丁村を訪れると、民族色豊かな「黒チベット家屋」が中腹の山肌に点在しており、美しい景観を形作っている。村は景勝地の立地を生かし、ホテルや民宿、飲食店、画廊、シャンバラ文化博物館といった新たな業態を展開してきた。また、分散型酸素供給システムや集中暖房といった現代的な設備も整備されている。「以前は夏だけしか観光業で稼げませんでしたが、酸素供給や暖房の問題が解決されてからは、1年を通じて観光客を受け入れられるようになり、安定した収入を得られるようになりました」と、亜丁村の村幹部であるスーランザーレン(四郎沢仁)さんは語った。 

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