母なる姚江の恵み
余姚は、気候は温暖で湿潤、銭塘江下流域で土地も肥沃で、狭いながらも遥か古代から栄え、幾多の文化的巨人を輩出してきた。余姚では中心街でも水や山、橋が織りなす江南らしい風景を目にすることができる。西から東に市街を貫いて流れる姚江は、余姚の人々の生命と精神の源で、母なる川とされている。
陽明学の一大基地
王陽明が開いた陽明学派は明代中期以降儒学の新たな学派として、中国のみならず日本にも大きな影響を与えた。王陽明は余姚龍泉山の中天閣で講義を行い、「龍山講会」を創設した。ここから故郷には多数の陽明学の中堅学者が育ち、余姚を陽明学の研究と普及の一大基地にしていった。
 
朱舜水先生記念堂
小石川後楽園
清に抵抗し日本に渡る
水戸徳川家の墓所に眠る
思想と実学を幅広く伝える
庶民の身近に生き続ける
故郷への思い捨てがたく
友好の懸け橋として今も
 余姚市街から10キロほどの場所に、山と渓流に囲まれた村落がある。山の中腹まであるダムを越えて曲がりくねった山道を登り、村落に近づいた時に眺めると、竹林の竹が衛兵のように立ち並んでいるのが見える。
竹に囲まれた暮らし
よりひっそり、よりにぎやかに?
陸羽も賞賛した余姚の茶
祝いの席に欠かせない銘菓
地元で愛されるヤマモモの酒
中国有数の「ザーサイの里」
 
 日本に渡る前の朱舜水は民間の文化人に過ぎず、知名度もさほどではなかった。しかし、「反清復明(清を倒し明を復興させる)」の望みが絶たれ日本に寓居することになった朱舜水は、長崎や江戸で講義を行い、中国の伝統文化を伝えた。日本に滞在すること23年、彼は儒教の大同思想に従い、自ら実行し、日本に儒学と経世済民の実学理念を伝えたのだった。
 1973年、余姚の姚江流域から河姆渡遺跡が発見された。出土品は、今から7000年前にここで稲作が行われ、狩猟が行われ、高床式住居が建てられ、原始的な村落が形成されていたことを示していた。河姆渡文化は長江流域の重要な新石器時代文化の一つであり、長江流域が黄河流域と同じように中華民族の古い文明の発祥地であることを証明した。
所在地 余姚河姆渡鎮芦山寺村
電 話 0574-62963731
アクセス 路線バス405、515路で河姆 渡遺跡下車
開館時間 8:30~17:00(4月~10月)冬期は16:30閉館
所在地 余姚市三七市鎮相嶴村
電 話 0574-62945248
アクセス バス505、506路で二六市村下車
開館時間 8:30~17:00 冬期16:30閉館


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